衛門、蓬莱屋《ほうらいや》新助、旧問屋九郎兵衛、組頭庄助、同じく平兵衛、妻籠本陣の寿平次、脇《わき》本陣の得右衛門なぞは、いずれも青い編笠《あみがさ》に草履ばきで供をした。産後のお民だけは嬰児《あかご》の森夫《もりお》(半蔵の三男)を抱いて引きこもっていたが、おまん、お喜佐、お里、それにお粂も年上の人たちと同じように彼女のみずみずしい髪を飾りのない毛巻きにして、その列の中に加わった。
やがてこの行列が街道を右に折れ、田圃《たんぼ》の間の寺道を進んで、万福寺の立つ小山に近づいたころ、そこまでついて行った勝重は清助と共に、急いで列を離れた。これは寺の方に先回りして一行を待ち受けるためである。万福寺にはすでに近村から到着した会葬者もある。今か今かと待ち受け顔な松雲和尚《しょううんおしょう》が勝重らを迎え入れ、本堂と庫裏《くり》の間の入り口のところに二人《ふたり》の席をつくってくれた。
「それじゃ、勝重さん、帳面方は君に頼みますよ。」
と清助に言われるまでもなく、勝重はそこに古い机を控え、その日の書役《かきやく》を引き受けた。そこは細長い板敷きの廊下であるが、一方は徒弟僧なぞの出たりはいったりする寺の囲炉裏ばたに続き、一方は錆《さ》び黒ずんだ板戸を境にして本堂の方へ続いている。薄暗い部屋《へや》をへだてて、奥まった方の客間も見える。勝重は、その位置にいて、会葬者の上がって来るごとにその名を記《しる》しつけ、吉左衛門が交遊のひろがりを想像した。しばらく待つうちに遺骸も本堂の前に着いて、勝重の周囲には廊下を歩きながらの人たちの扇がそこにもここにも動いた。
時には清助が机の上をのぞきに来る。山口、湯舟沢、落合、それから中津川辺からの会葬者はだれとだれとであろうかというふうに。勝重は帳面を繰って、なんと言っても美濃衆の多いことをさして見せ、わざわざ弔いに見えた美濃の俳友なぞもあることを話したあとで、さらに言葉をついで、
「まあ、清助さん、そう働いてばかりいないで、すこしお休み。わたしは今度馬籠へ来て見て、お師匠さまの子供衆が大きくなったのに驚きましたよ。ほんとに、皆さんが大きくおなりなすった。わたしには一番それが目につきます。お師匠さまの家にお世話になった時分、あのお粂さんなぞはまだわたしの膝《ひざ》にのせて抱いたくらいでしたがねえ。」
こんな話が出た。
そこへうわさをし
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