尋ね、孫たちをそばへ呼び寄せて放さなかったが、それが最後の日であったことを語った。父はお家流をよく書き、書体の婉麗《えんれい》なことは無器用な彼なぞの及ぶところでなかったが、おそらくその父の手筋は読み書きの好きなお粂の方に伝わったであろうとも語った。父はまた、美濃派の俳諧《はいかい》の嗜《たしな》みもあったから、臨終に近い枕《まくら》もとで、父から求めらるるままに、『風俗文選《ふうぞくもんぜん》』の一節を読み聞かせたが、さもあわれ深く父はそれを聞いていて、やがて、「半蔵、おれはもう行くよ」との言葉を残したとも語った。
 伊之助は言った。
「そう言えば、吾家《うち》の隠居(金兵衛)もこんなことを言っていましたっけ――いつぞや吉左衛門さんが上の伏見屋へお訪《たず》ねくだすって、大変に長いお話があった。あの時自分は気もつかなかったが、今になって考えて見ると、あれはこの世のお暇乞《いとまご》いにおいでくだすったのだわいッて。」


 吉左衛門の遺骸が本陣の門口まで運び出されたのは、翌日の午後であった。寺まで行かないものはその門口で見送るように、と呼ぶ清助の声が起こる。そこには近所のかみさんや婆《ばあ》さんなぞの女達がおもに集まっている。
「お霜|婆《ばあ》。」
「あい。」
「お前も早くおいでや。」
「あい。」
 出入りの百姓兼吉のおふくろは人に呼ばれて、あたふたとそこへ走り出た。耳の遠いこの婆さんまでが、ありし日のことを思い出して、今はと見送ろうとするのであろう。その中には、珠数を手にした伊之助の妻のお富もまじっていた。
 その時、百姓の桑作は人を分けて、半蔵をさがした。桑作はそこに門火《かどび》を焚《た》いていた一人の若者を半蔵の前へ連れて行った。
「旦那、これはおふき婆(半蔵の乳母《うば》)の孫よなし。長いこと山口の方へ行っていたで、お前さまも見覚えはあらっせまいが、あのおふき婆の孫がこんなに大《でか》くなった。きょうはこれにもお見送りをさしてやっていただきたい。そう思って、おれが連れて来たに。」
 と桑作は言った。
 間もなく野辺送《のべおく》りの一行は順に列をつくって、寺道の方へ動き出した。高く掲げた一対の白張提灯《しらはりぢょうちん》を案内にして、旧庄屋の遺骸がそのあとに続いた。施主の半蔵をはじめ、亀屋《かめや》栄吉、伏見屋伊之助、梅屋五助、桝田屋《ますだや》小左
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