ったこと、ただ彼としては惣三の同志|伊達徹之助《だててつのすけ》の求めにより金二十両を用立てたことをありのままに申し立てた。
「偽役《にせやく》のかたとはさらに存ぜず、献金なぞいたしましたことは恐れ入ります。」
そう半蔵は答えた。
「待て、」と取り調べ役が言った。「その方もよく承れ。近ごろはいろいろな異説を立てるものがあらわれて来て、実に心外な御時世ではある。なんでも悪い事は皆徳川の方へ持って行く。そういう時になって来た。まあ、あの相良惣三《さがらそうぞう》一味のものが江戸の方でしたことを考えて見るがいい。天道にも目はあるぞ。おまけに、この街道筋まで来て、追分辺で働いた狼藉《ろうぜき》はどうだ。官軍をとなえさえすれば、何をしてもいいというものではあるまい。」
「さようだ。」と言い出すのは火鉢《ひばち》に手をかざしている立ち会いの用人だ。「貴殿はよく言った。実は、拙者もそれを言おうと思っていたところでござる。」
「いや、」とまた取り調べ役は言葉をつづけた。「御同役の前でござるが、あの御征討の制札にしてからが、自分には腑《ふ》に落ちない。今になって、拙者はつくづくそう思う。もし先帝が御在世であらせられたら、慶喜公に対しても、会津や桑名に対しても、こんな御処置はあらせられまいに……」
今一度改めて出頭せよ、翌朝を待ってなにぶんの沙汰《さた》があるであろう、その役人の声を聞いたあとで、半蔵は役所の門を出た。馬籠から供をして来た峠村の組頭《くみがしら》、先代平助の跡継ぎにあたる平兵衛《へいべえ》がそこに彼を待ち受けていた。
「半蔵さま。」
「おゝ、お前はそこに待っていてくれたかい。」
「そうよなし。おれも気が気でないで、さっきからこの御門の外に立ち尽くした。」
二人《ふたり》はこんな言葉をかわし、雪の道を踏んで、大手橋から旅籠屋《はたごや》のある町の方へ歩いた。
木曾福島も、もはや天保文久年度の木曾福島ではない。創立のはじめに渡辺方壺《わたなべほうこ》を賓師に、後には武居用拙《たけいようせつ》を学頭に、菁莪館《せいがかん》の学問を誇ったころの平和な町ではない。剣術師範役|遠藤《えんどう》五平太の武技を見ようとして、毎年馬市を機会に諸流の剣客の集まって来たころの町でもない。まして、木曾から出た国家老《くにがろう》として、名君の聞こえの高い山村|蘇門《そもん》(良由)
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