慣例はどしどし廃される、幕府から任命していた皇居九門の警衛は撤去されるというふうに、多くの繁文縟礼《はんぶんじょくれい》が改められた時、幕府が大改革の眼目として惜しげもなく投げ出したのも参覲交代の旧《ふる》い慣例だ。もともと徳川氏にとっては重要なあの政策を捨てるということが越前《えちぜん》の松平春嶽《まつだいらしゅんがく》から持ち出された時に、幕府の諸有司の中には反対するものが多かったというが、一橋慶喜《ひとつばしよしのぶ》は越前藩主の意見をいれ、多くの反対説を排して、改革の英断に出た。今さらあの制度を復活するとなると、当時幕府を代表して京都の方に禁裡《きんり》守衛総督摂海|防禦《ぼうぎょ》指揮の重職にある慶喜の面目を踏みつぶすにもひとしい。遠くは紀州と一橋との将軍継嗣問題以来、苦しい反目を続けて来た幕府の内部は、ここにもその内訌《ないこう》の消息を語っていた。
それにしても、政治の中心はすでに江戸を去って、京都の方に移りつつある。いつまでも大江戸の昔の繁華を忘れかねているような諸有司が、いったん投げ出した政策を復活して、幕府の頽勢《たいせい》を挽回《ばんかい》しうるか、どうかは、半
前へ
次へ
全434ページ中100ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング