ように地方にいていくらかでも上納金の世話を命ぜられたものにわかる。西丸の復興ですらこのとおりだ。本丸の方の再度の造営はもとより困難と見られている。朝日夕日に輝いて八百八町《はっぴゃくやちょう》を支配するようにそびえ立っていたあの建築物も、周囲に松の緑の配置してあった高い白壁も、特色のあった窓々も、幕府大城の壮観はとうとうその美を失ってしまった。言って見れば、ここは広大な城下町である。大小の武家屋敷、すなわち上《かみ》屋敷、中《なか》屋敷、下《しも》屋敷、御用屋敷、小屋敷、百人組その他の組々の住宅など、皆大城を中心にしてあるようなものである、変革はこの封建都市に持ち来たされた。諸大名は国勝手を許され、その家族の多くは屋敷を去った。急激に多くの消費者を失った江戸は、どれほどの財界の混乱に襲われているやも知れないかのようである。
しかし、あの制度の廃止は文久の改革の結果だ。あれは時代の趨勢《すうせい》に着眼して幕政改革の意見を抱《いだ》いた諸国の大名や識者なぞの間に早くから考えられて来たことだ。もっと政治は明るくして新鮮な空気を注ぎ入れなければだめだとの多数の声に聞いて、京都の方へ返すべき
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