ある。しばらく彼はそこに足を休めていると、ちょうど国境の一里塚の方から馬籠《まごめ》をさして十曲峠《じっきょくとうげ》を上って来る中津川の香蔵にあった。香蔵は落合《おちあい》の勝重《かつしげ》をも連れてやって来た。
「お師匠さま。」
 その勝重の昔に変わらぬ人なつこい声をも半蔵は久しぶりで聞いた。
「半蔵さん、君は中津川まで行かずに済むし、わたしたちも馬籠まで行かずに済む。この茶屋で話そうじゃありませんか。」
 香蔵の提議だ。
 その時、半蔵は初めて王政復古の成り立ったことを知り、岩倉公を中心にする小御所の会議には薩州土州芸州越前四藩のほかに尾張も参加したことを知った。その時になると、長州藩主父子は官位を復して入洛《じゅらく》を許さるることとなり、太宰府《だざいふ》にある三条|実美《さねとみ》らの五卿もまた入洛復位を許されて、その時までの舞台は全く一変した。慶喜と会津と桑名とは除外せられ、会桑二藩が宮門警衛をも罷《や》められた。摂政、関白の大官も廃され、幕府はその時に全く終わりを告げた。この消息は京都にある景蔵からの書面に伝えてある。半蔵との連名にあてて書いてよこしたと言って、香蔵の持
前へ 次へ
全434ページ中427ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング