、三千人の手兵を率いて、あるものはすでに入京し、あるものは摂津《せっつ》の海岸や西の宮に到着して上国の報を待つという物々しさに満たされて来た。名古屋と京都との往来も頻繁《ひんぱん》になって、薩長土肥等の諸藩と事を京畿《けいき》に共にしようとする金鉄組の諸士らは進み、佐幕派として有力な御小納戸《おこなんど》、年寄、用人らは退きつつあった。成瀬正肥《なるせまさみつ》、田宮如雲《たみやじょうん》、荒川甚作《あらかわじんさく》らの尾州藩でも重立った勤王の士が御隠居を動かして百方この間に尽力していることは、手に取るように半蔵のところへも知れて来る。王政復古の実現ももはや時の問題となった。
こういう空気の中で、半蔵の耳には思いがけない新しい声が聞こえて来た。彼はその声を京都にいる同門の人からも、名古屋にある有志からも、飯田《いいだ》方面の心あるものからも聞きつけた。
「王政の古《いにしえ》に復することは、建武中興《けんむちゅうこう》の昔に帰ることであってはならない。神武《じんむ》の創業にまで帰って行くことであらねばならない。」
その声こそ彼が聞こうとして待ちわびていたものだ。多くの国学者が夢み
前へ
次へ
全434ページ中421ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング