は藤《ふじ》の花が咲き出すころに、彼は馬籠と福島の間を往復して、代官山村氏が名古屋表への出馬を促しにも行って来た。この領民の難渋と宿駅の疲弊とを尾州藩で黙ってみていたわけではもとよりない。同藩でもよく木曾地方のために尽くした。前年の冬には宿駅救助として宮《みや》の越《こし》、上松《あげまつ》、馬籠の三宿へ六百両ずつを二か年度の割に貸し渡し、その年の正月には木曾谷中へ五千両をお下げ金として分配した。のみならず、かねて馬籠の村民一同が嘆願した上納|御年貢《おねんぐ》の半減も容赦され、そのほかにこの際は特別の場合であるとして、三月には米にして六十石、この金高百九十両余がほどを三回に分け、一度分金十七両と米十俵ずつとを窮民の救助に当てることになった。
 いかんせん、この尾州藩の救いは右から左へとすぐ受け取れるものでなかったし、村民は救いの手を目の前に見ながら飢えねばならなかった。半蔵が伊之助その他の宿役人を会所に集め、向こう十五日間を期して馬籠宿としての施し米を始めたのはこの際である。配当は馬籠の町内、荒町、峠村。白米、一人一合|宛《あて》。老人子供は五勺ずつ。
 こんな日がやがて十日も続いた
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