は土佐から、二人は久留米《くるめ》から、一人は因州から、一人は福岡《ふくおか》から、一人は金沢から、一人は柳川《やながわ》から、二人は津《つ》から、一人は福井から、一人は佐賀から、一人は広島から、五人は桑名から、それに七人は会津から。徳川将軍の進退と外国条約の問題とが諸藩の藩主でなしに、その重立った家来によって議せらるるようになったとは、そこにも時勢の推し移りを語っていた。井伊大老の時代以来、幾たびか幕府で懇請して許されなかった条約も、朝廷としては四国の力を合わせた黒船に直面し、幕府としては将軍の職を賭《か》けるところまで行って、ようやくその許しが出た。長い鎖国の解かれる日も近づいた。
山口|駿河《するが》は大坂にいた。その時は将軍も大坂城を発したあとで、そこにとどまるものはただ老中の松平|伯耆《ほうき》と城代《じょうだい》牧野越中《まきのえっちゅう》とがある。その他は町奉行、および武官の番頭《ばんがしら》ばかりだ。駿河は外国応接の用務のためにそこに残っていたが、相談相手とすべき人もなく、いたずらに大坂と兵庫の間を往復して各公使を言いなだめていた。彼はまだ京都からの決答も聞かず、
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