隊を向こうに回しては、長州藩ですら敵し得なかったのみか、砲台は破壊され、市街は焼かれ、今すこしで占領の憂《う》き目を見るところであったことは、下の関の戦いが実際にそれを証拠立てていた。
 連合艦隊出動のことが江戸に聞こえると、江戸城の留守をあずかる大老や老中は捨て置くべき場合でないとして、昼夜兼行で大坂に赴《おもむ》きその交渉の役目に服すべき二人を任命した。山口|駿河《するが》はその一人《ひとり》であったのだ。


 山口駿河は号を泉処《せんしょ》という。当時外国奉行の首席である。函館奉行の組頭《くみがしら》から監察(目付)に進んだ友人の喜多村瑞見《きたむらずいけん》とも親しい。この人が大坂へ出て行って、将軍にも面謁《めんえつ》し、江戸の方にある大老や老中の意向を伝えたころは、当路の諸有司は皆途方に暮れている。将軍は西上して国内がすでに多端の際であるのに、この上、外国から逼《せま》られてはどうしたらいいかと言って、ほとんどなすべきところを知らないに近いようなものばかりだ。その時、駿河は改めて大目付兼外国奉行に任ずるよしの命をうけ、とりあえず外国船に行って一応の尋問をなし、二十三日には老
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