その前日に中津川泊まりで東下する弘前《ひろさき》城主|津軽侯《つがるこう》の通行とを迎えたのみだ。
しかし、馬籠の宿場が閑散であったわけではない。二度と参覲交代の道を踏む諸大名こそまれであったが、三月二十二日あたりから四月七日ごろへかけて日光|大法会《だいほうえ》のために東下する勅使や公卿たちの通行の混雑で、半蔵は隣家の年寄役伊之助らと共に熱い汗を流し続けた。幕府では四月十七日を期し東照宮二百五十回忌の大法会を日光山に催し、法親王および諸|僧正《そうじょう》を京都より迎え、江戸にある老中はもとより、寺社奉行《じしゃぶぎょう》、大目付、勘定奉行から納戸頭《なんどがしら》までも参列させ、天台宗徒《てんだいしゅうと》をあつめて万部の仏経を読ませ、諸人にその盛典をみせ、この際――年号までも慶応《けいおう》元年と改めて、大いに東照宮の二百五十年を記念しようとしたのだ。この街道へは尾州家から千五百両の金を携えた役人が出張して来て、日によっては千人の人足を買い揚げたのを見ても、いかにその通行の大がかりなものであったかがわかる。奈良井宿詰《ならいしゅくづ》めの尾張人足なぞは、毎日のようにおびただしく
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