るようになった。
諏訪の百姓は馬籠本陣をたよって来て、一通の書付を旅の懐《ふところ》から取り出し、主人への取り次ぎを頼むと言い入れた。その書付は、敦賀《つるが》の町役人から街道筋の問屋にあてたもので、書き出しに信州諏訪|飯島村《いいじまむら》、当時無宿|降蔵《こうぞう》とまず生国と名前が断わってあり、右は水戸浪士について越前《えちぜん》まで罷《まか》り越したものであるが、取り調べの上、子細はないから今度帰国を許すという意味を認《したた》めてあり、ついては追放の節に小遣《こづか》いとして金壱分をあてがってあるが、万一途中で路銀に不足したら、街道筋の問屋でよろしく取り計らってやってくれと認《したた》めてある。
半蔵はすぐにその百姓の尋ねて来た意味を読んだ。武田耕雲斎以下、水戸浪士処刑のことはすでに彼の耳にはいっていた際で、自分のところへその書付を持って来た諏訪の百姓の追放と共に、信じがたいほどの多数の浪士処刑のことが彼の胸に来た。
「旦那《だんな》、わたくしは鎗《やり》をかつぎまして、昨年十一月の二十七日にお宅の前を通りましたものでございます。」
降蔵の挨拶《あいさつ》だ。
旅の百
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