三十六人を数えたが、その年の暮れには一息に二十三人の入門候補者を得たほど、この地方の信用と同情とを増した。
 その時になって見ると、片桐春一《かたぎりしゅんいち》らの山吹《やまぶき》社中を中心にする篤胤研究はにわかに活気を帯びて来る。従来国恩の万分の一にも報いようとの意気込みで北原稲雄らによって計画された先師遺著『古史伝』三十一巻の上木頒布《じょうぼくはんぷ》は一層順調に諸門人が合同協力の実をあげる。小野の倉沢義髄《くらさわよしゆき》、清内路の原|信好《のぶよし》のように、中世否定の第一歩を宗教改革に置く意味で、神仏|混淆《こんこう》の排斥と古神道の復活とを唱えるために、相携えて京都へ向かおうとしているものもある。
 この機運を迎えた、伊那地方にある同門の人たちは、日ごろ彼らが抱《いだ》いている夢をなんらかの形に実現しようとして、国学者として大きな諸先達のためにある記念事業を計画していた。半蔵らが飯田にはいった翌々日には、三人ともその下相談にあずかるために、町にある同門の有志の家に集まることになった。
 ここですこしく平田門人の位置を知る必要がある。篤胤の学説に心を傾けたものは武士階級
前へ 次へ
全434ページ中241ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング