も立って見た間柄である。その時の二人は供の男も連れず、途中は笠《かさ》に草鞋《わらじ》があれば足りるような身軽な心持ちで、思い思いの合羽《かっぱ》に身を包みながら、午後から町を離れた。もっとも、飯田の方に着いて同門の人たちと一緒になる場合を考えると紋付の羽織に袴《はかま》ぐらい風呂敷包《ふろしきづつ》みにして肩に掛けて行く用意は必要であり、馬籠本陣への手土産《てみやげ》も忘れてはいなかったが。
中津川から木曾の西のはずれまではそう遠くない。その間には落合《おちあい》の宿一つしかない。美濃よりするものは落合から十曲峠《じっきょくとうげ》にかかって、あれから信濃《しなの》の国境《くにざかい》に出られる。各駅の人馬賃銭が六倍半にも高くなったその年の暮れあたりから見ると、二人の青年時代には駅と駅との間を通う本馬《ほんま》五十五文、軽尻《からじり》三十六文、人足二十八文と言ったところだ。
水戸浪士らは馬籠と落合の両宿に分かれて一泊、中津川昼食で、十一月の二十七日には西へ通り過ぎて行った。飯田の方で北原兄弟が間道通過のことに尽力してからこのかた、清内路に、馬籠に、中津川に、浪士らがそれからそれ
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