江戸両国の橋の上から丑寅《うしとら》の方角に遠く望んだ人たちの動きが、わずか一月《ひとつき》近くの間に伊那の谷まで進んで来ようとは半蔵の身にしても思いがけないことであった。水戸の学問と言えば、少年時代からの彼が心をひかれたものであり、あの藤田東湖の『正気《せいき》の歌』なぞを好んで諳誦《あんしょう》したころの心は今だに忘れられずにある。この東湖先生の子息《むすこ》さんにあたる人を近くこの峠の上に、しかも彼の自宅に迎え入れようとは、思いがけないことであった。平田門人としての彼が、水戸の最後のものとも言うべき人たちの前に自分を見つける日のこんなふうにして来ようとは、なおなお思いがけないことであった。
別に、半蔵には、浪士の一行に加わって来るもので、心にかかる一人の旧友もあった。平田同門の亀山嘉治《かめやまよしはる》が八月十四日|那珂港《なかみなと》で小荷駄掛《こにだがか》りとなって以来、十一月の下旬までずっと浪士らの軍中にあったことを半蔵が知ったのは、つい最近のことである。いよいよ浪士らの行路が変更され、参州街道から東海道に向かうと見せて、その実は清内路より馬籠、中津川に出ると決した時、
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