のうわさは高遠藩を沈黙させた。それでも幕府のきびしい命令を拒みかねて、同藩では天龍川の両岸に出兵したが、浪士らの押し寄せて来たと聞いた時は指揮官はにわかに平出《ひらで》の陣地を撤退して天神山《てんじんやま》という方へ引き揚げた。それからの浪士らは一層勇んで一団となった行進を続けることができた。
 進み過ぎる部隊もなく、おくれる部隊もなかった。中にはめずらしい放吟の声さえ起こる。馬上で歌を詠ずるものもある。路傍《みちばた》の子供に菓子などを与えながら行くものもある。途中で一行におくれて、また一目散に馬を飛ばす十六、七歳の小冠者《こかんじゃ》もある。
 こんなふうにしてさらに谷深く進んだ。二十二日には浪士らは上穂《かみほ》まで動いた。そこまで行くと、一万七千石を領する飯田《いいだ》城主|堀石見守《ほりいわみのかみ》は部下に命じて市田村《いちだむら》の弓矢沢というところに防禦《ぼうぎょ》工事を施し、そこに大砲数門を据《す》え付けたとの報知《しらせ》も伝わって来た。浪士らは一つの難関を通り過ぎて、さらにまた他の難関を望んだ。


「わたしたちは水戸の諸君に同情してまいったんです。実は、あなたが
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