とに、これも何かの御縁かと思いますね。」
両国十一屋の方には、幸兵衛、平助の二人《ふたり》がもう草鞋《わらじ》まではいて、半蔵を待ち受けていた。頼んで置いた馬も来た。その日はお茶壺《ちゃつぼ》の御通行があるとかで、なるべく朝のうちに出発しなければならなかった。半蔵は大小二|荷《か》の旅の荷物を引きまとめ、そのうち一つは琉球《りゅうきゅう》の莚包《こもづつ》みにして、同行の庄屋たちと共に馬荷に付き添いながら板橋経由で木曾街道の方面に向かった。
四
四月以来、筑波《つくば》の方に集合していた水戸の尊攘派《そんじょうは》の志士は、九月下旬になって那珂湊《なかみなと》に移り、そこにある味方の軍勢と合体して、幕府方の援助を得た水戸の佐幕党《さばくとう》と戦いを交えた。この湊の戦いは水戸尊攘派の運命を決した。力尽きて幕府方に降《くだ》るものが続出した。二十三日まで湊をささえていた筑波勢は、館山《たてやま》に拠《よ》っていた味方の軍勢と合流し、一筋の血路を西に求めるために囲みを突いて出た。この水戸浪士の動きかけた方向は、まさしく上州路《じょうしゅうじ》から信州路に当たっていたの
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