乱とを経験して来たかしれない問題である。一方に攘夷派を頑迷《がんめい》とののしる声があれば、一方に開港派を国賊とののしり返す声があって、そのためにどれほどの犠牲者を出したかもしれない問題である。英米仏蘭四国を相手の苦い経験を下の関になめるまで、攘夷のできるものと信じていた人たちはまだまだこの国に少なくなかった。好《よ》かれ悪《あ》しかれ、実際に行なって見て、初めてその意味を悟ったのは、ひとり長州地方の人たちのみではなかった。その時になって見ると、全国を通じてあれほどやかましかった多年の排外熱も、ようやく行くところまで行き尽くしたかと思わせる。
三
とうとう、半蔵は他の庄屋たちと共に、道中奉行からの沙汰《さた》を九月末まで待った。奉行から話のあった仕訳書上帳《しわけかきあげちょう》の郷里から届いたのも差し出してあり、木曾十一宿総代として願書も差し出してあって、半蔵らはかわるがわる神田橋《かんだばし》外の屋敷へ足を運んだが、そのたびに今すこし待て、今すこし待てと言われるばかり。両国十一屋に滞在する平助も、幸兵衛もしびれを切らしてしまった。こんな場合に金を使ったら、尾州あ
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