年三月より七月へかけ、公方様《くぼうさま》の還御《かんぎょ》にあたりまして、木曾街道の方にも諸家様のおびただしい御通行がございました。何分にも毎日のことで、お継立ても行き届かず、それを心配いたしまして木曾十一宿のものが定助郷《じょうすけごう》の嘆願に当お役所へ罷《まか》り出ました。問屋四名、年寄役一名、都合五名のものが総代として出たような次第でございます。その節、定助郷はお許しがなく、本年二月から六か月の間、当分助郷を申し付けるとのことで、あの五名のものも帰村いたしました。もはやその期日も残りすくなでございますし、なんとかその辺のことも御配慮に預かりませんと、またまた元通り継立てに難渋することかと心配いたされます。」
「そういう注文も出ようかと思って、実は当方でも協議中であるぞ。」と都筑駿河は言った。
 その時、幸兵衛はまた、別の立場から木曾地方の付近にある助郷の組織を改良すべき時機に達したことを申し立てた。彼に言わせると、従来課役として公用藩用に役立って来たもの以外に、民間交通事業の見るべきものが追い追いと発達して来ている。伊那《いな》の中馬《ちゅうま》、木曾の牛、あんこ馬(駄馬《だ
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