また》に歩き回るやらしたあとで、口から沫《あわ》を飛ばして言うことには、条約許容とは何事であるか、大英国と日本とは前年すでに結んだのを知らないのか、兵庫開港をやめるとは条約にそむく、勅書と言って貴重にされるからは徳川将軍よりもさらに権の重い者である、しからば直ちにその権の重い者について談判するであろう、もはや貴下らと談判する必要がない、すみやかに日本の国権を有するところへ案内せられよ、かつまた真に日本皇帝の書であるならその印璽《いんじ》が押してなければならない、それさえない一片の紙をどうして外国のものが信ずることができるか、君らは自分を瞞着《まんちゃく》するために来たのであろう、自分はこれから艦長に言い付けてすぐさま京都に行くであろう、貴下らはよろしく同行するがよいと。
 何を言われても泰然と構え込んで苦笑《にがわら》いしている松平伯耆と、パアクスとがそれに対《むか》い合っていた。それにこの二人《ふたり》は言葉も通じない。鼻息の荒いパアクスはもはや幕府の外交手段に欺かれないという顔つきで、今にもその勅書を引き裂きそうにするので、駿河はあわてて公使を押し止め、にわかに兵庫の港を開きがたいこの国の事情を述べ、この勅書は元来天皇から将軍に授けられたので君らへそのまま示すべき性質のものでないが、それをありのまま示すのは懇信の意を表するからであると言って、印璽《いんじ》のない場合に旧例のあることをも説明した。もはや日暮れにも近い、仏国公使も待っていることだろうから、同公使の意見をも聞いた上で、また貴艦を訪《たず》ねようと言い添えると、パアクスもやや気色を和らげた。そこで一行は英国公使らにわかれて、フランス船の方へ行った。
 仏国公使ロセスと駿河とはすでに江戸の方で幾たびか相往来している間柄である。横須賀《よこすか》造船所の経営に、陸軍の伝習に、フランス語学所の開設に、海外留学生の派遣に、ロセスが幕府に忠告したり種々《さまざま》な助力を与えたりしたことは一度や二度にとどまらない。それに、書記官のメルメット・カションが以前|函館《はこだて》の方にあったころ、函館奉行|津田近江《つだおうみ》の世話により駿河の友人喜多村|瑞見《ずいけん》から邦語を伝えられたという縁故もあって、駿河の方でも応対に心やすい。この公使と書記官とが駿河らから英国側の態度をきき取った時は、さすがに少しも驚かなかった。ただフランス人の癖らしく両手をひろげて、肩をゆすって見せたばかりだ。
 のみならず、ロセスはせっかく勅書まで持参した幕府側の苦心を知るだけの思いやりもあって、この際どうすればいいかという方法まで松平老中に教えた。それには、老中連名の書面をすみやかに渡してもらいたい。その文意はカションの通訳で大体駿河からきいたように、国事多端の際であるからこの地では事を尽くせない、兵庫開港の事も将軍においては承諾している、これらはことごとく江戸にある水野|和泉守《いずみのかみ》に任すべきゆえ、すみやかに江戸において談判せられよ、京都の皇帝へは外国事情をよく告げ置くであろうとの趣に認《したた》めてもらいたい。自分はその書面を証拠として、今夜各国公使へ説諭し、明日はすみやかに退帆するように取り計らうことにする。そうすれば目下の急を救うこともできよう。これが仏国公使の意見であった。
「さて、これはどうしたものであろう。拙者|一人《ひとり》ならすぐにもこの書面は認《したた》められる。同僚連署ということであれば、一応その人たちに相談した上でないと渡されない。はて、困ったことになったわい。」
 松平伯耆は順動丸に帰ってからそれを言った。
 夜はすでに八つ時を過ぎた。それから京都に往復して相談なぞをしていると、翌日の間に合わない。一行にとってこれは見のがせない機会でもあった。もし翌日になって、各国の船艦が大坂まで動き、淀川をさかのぼって京都に行くようなことが起こったら、人心も動揺する憂いがあった。駿河はそのことを松平伯耆に言って、今は一刻もむなしく過せない、仏国公使の厚意をむなしくしたらあとになって臍《ほぞ》をかんでも追いつかない、これは大事の前の小事である、老中連署が不承知とあれば御一存で処置せられたい、付き添いの任はまっぴら御免をこうむると述べた。松平老中もしかたなしに、然らば好《よ》きように取り計らえ、後日同僚に不平があっても自分の罪ではないと言う。駿河は甘んじてその責めを受けた。書面は同行の祐筆《ゆうひつ》が認《したた》めた。老中松平伯耆守、同じく松平周防守、同じく小笠原壱岐守の名が書かれた。みんなが暗記する花押《かおう》までその紙の上に記《しる》された。
 この老中連署の書面が仏国公使の手を通して、英船へも、米蘭両船へも持ち運ばれたころは、夜も深かった。駿河がひとり仏国船に出かけ
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