とそんなうわさばかり……」
「待ってくれ。そう言われると、おれが宿場の世話をした時分には、なんだか依怙贔屓《えこひいき》でもしたように聞こえる。」
「大旦那、まあ、聞いてください。半蔵さまはよく参覲交代なぞはもう時世おくれだなんて言うでしょう。町のものに聞いて見ると、宿場がさびれて来たら、みんなどうして食えるかなんて、そういうことも言うんです。」
「そこだて。半蔵だって心配はしているんさ。この街道の盛衰にかかわることをだれだって、心配しないものがあるかよ。こう御公役の諸大名の往来が頻繁《ひんぱん》になって来ては、継立《つぎた》てに難渋するし、人馬も疲れるばかりだ。よいにも悪いにもこういう時世になって来た。だから、参覲交代のような儀式ばった御通行はそういつまで保存のできるものでもないというあれの意見なんだろう。妻籠《つまご》の寿平次《じゅへいじ》もその説らしい。ちょっと考えると、どの街道も同じことで、往還の交通が頻繁にあれば、それだけ宿場に金が落ちるわけだから、大きな御通行なぞは多いほどよさそうなものだが、そこが東海道あたりとわれわれの地方とすこし違うところさ。木曾のように人馬を多く徴発されるところじゃ、問屋場がやりきれない。事情を知らないものはそうは思うまいが、木曾十一宿の庄屋仲間が相談して、なるべく大きな御通行は東海道を通るようにッて、奉行所へ嘆願した例もあるよ。おれは昔者《むかしもの》だから、参覲交代を保存したい方なんだが、しかし半蔵や寿平次の意見にも一理屈あるとは思うね。」
「そういうこともありましょう。しかし、わたしに言わせると、九太夫《くだゆう》さんたちはどこまでも江戸を主にしていますし、半蔵さまはまた、京都を主にしています。九太夫さんたちと半蔵さまとは、てんで頭が違います。諸大名は京都の方へ朝参するのが本筋だ、そういうことは旧《ふる》い宿場のものは考えないんです。」
「だんだんお前の話を聞いて見ると、おれも思い当たることがある。つまり、おれの家じゃ問屋を商売とは考えていない。親代々の家柄で、町方のものも在の百姓もみんな自分の子のように思ってる。半蔵だって、本陣問屋を名誉職としか思っていまい。おれの家の歴史を考えて見てくれると、それがわかる。こういう山の上に発達した宿場というものは、百姓の気分と町人の気分とが混《まじ》り合っていて、なかなかどうして治めにくいところがあるよ。」
「だいぶお話に身が入るようですね。」
 と言いながら、おまんは軽く笑って、次ぎの間から茶道具を運んで来た。隠居所で沸かした湯加減のよい茶を夫にも清助にもすすめ、自分でも飲んで、話の仲間に加わった。
「なんでも、」とおまんは思い出したように、「神葬祭の一条で、半蔵が九太夫さんとやりやったことがあるそうじゃありませんか。あれから九太夫さんの家では、とかく半蔵の評判がよくないとか聞きましたよ。」
「そんなことはありません。」と清助は言った。「九太夫さんはどう思っているか知りませんが、九郎兵衛《くろべえ》さんにかぎって決してそんなことはありません。そりゃだれがなんと言ったって、お父《とっ》さんのためにお山へ参籠《さんろう》までして、御全快を祷《いの》りに行くようなことは、半蔵さまでなけりゃできないことです。」
「いえ、その点はおれも感心してるがね。なんと言うか、こう、まるで子供のようなところが半蔵にはあるよ。あれでもうすこし細かいところにも気がつくようだと、宿場の世話もよく届くかと思うんだが。」
「そりゃ、大旦那、街道へ日があたって来たからと言って、すぐに傘《からかさ》をひろげて出す金兵衛さんのような細かさは、半蔵さまにはありません。」
「金兵衛さんの言い草がいいじゃないか。半蔵に問屋場を預けて置くのは、米の値を知らない番人に米蔵を預けて置くようなものだとさ。あの人の言うことは鋭い。」
「まあ、栄吉さんも来てくれたものですし、そう大旦那のように御心配なすったものでもありません。見ていてください。半蔵さまだってなかなかやりますよ。」
「清助さん、」とその時、吉左衛門は相手の言うことをさえぎった。「この話はこのくらいにして、おれが一つ将棋のたとえを出すよ。お互いに好きな道だからね。一歩《ひとあし》ずつ進む駒《こま》もある。一足飛びに飛ぶ駒もある。ある駒は飛ぶことはできても一歩《ひとあし》ずつ進むことは知らない。ある駒はまた、一歩ずつ進むことはできても飛ぶことは知らない。この街道に生まれて来る人間だって、そのとおりさ。一気に飛ぶこともできれば、一歩ずつ進むこともできるような、そんな駒はめったに生まれて来るもんじゃないね。」
「そうすると、大旦那、あの金兵衛さんなぞは、さしずめどういう駒でしょう。」
「将棋で言えば、成った駒だね。人間もあそこまで行けば、まあ、
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