ますます快《よ》い方に向いて来たよ。こうして隠居しているのがもったいないくらいさ。」と吉左衛門は言って見せた。
 その時になって見ると、徳川政府が参覲交代のような重大な政策を投げ出したことは、諸藩分裂の勢いを助成するというにとどまらなかった。吉左衛門の言い草ではないが、その制度変革の影響はどこまで及んで行くとも見当がつかなかった。当時交通輸送の一大動脈とも言うべき木曾街道にまで、その影響は日に日に深刻に浸潤して来ていた。
 江戸の公役が出張を見た各宿調査の模様は、やがて一同の話題に上った。そこには吉左衛門のようにすでに宿役を退いたもの、得右衛門のようにそろそろ若い者に代を譲る心じたくをしているもの、半蔵や寿平次のようにまだ経験も浅いものとが集まった。
「以前からわたしはそう言ってるんですが、助郷のことは大問題ですて。」と吉左衛門が言い出した。「まあ、わたしのような昔者から見ると、もともと宿場と助郷は金銭ずくの関係じゃありませんでしたよ。人足の請負なぞをするものはもとよりなかった。助郷はみんな役を勤めるつもりで出て来ていました。参覲交代なぞがなくって、諸大名の奥方でも、若様でも、御帰国は御勝手次第ということになりましたろう。こいつは下のものに響いて来ますね。御奉公という心がどうしても薄らいで来ると思いますね。」
 退役以来、一切のことに口をつぐんでいるこの吉左衛門にも、陰ながら街道の運命を見まもる心はまだ衰えなかった。得右衛門はその話を引き取って、
「吉左衛門さん、無論それもあります。しかし、御変革の結果で、江戸屋敷の御女中がたが御帰りになる時に、あの御通行にかぎって相対雇《あいたいやと》いのよい賃銭を許されたものですから、あれから人足の鼻息が荒くなって来ましたよ。」
「そこが問題です。」寿平次が言う。
「待っておくれよ。そりゃ助郷が問屋場に来て見て、いろいろ不平もありましょうがね。宿《しゅく》助成ということになると、どうしてもみんなに分担してもらわんけりゃならんよ。こりゃ、まあお互いのことなんだからね。」とまた吉左衛門は言い添える。
「ところが、吉左衛門さん。」と得右衛門は言った。「御通行、御通行で、物価は上がりましょう。伝馬役《てんまやく》は給金を増せと言い出して来る。どうしても問屋場に無理ができるんです。助郷から言いますと、宿の御伝馬が街道筋に暮らしていて、とも
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