ある。しばらく彼はそこに足を休めていると、ちょうど国境の一里塚の方から馬籠《まごめ》をさして十曲峠《じっきょくとうげ》を上って来る中津川の香蔵にあった。香蔵は落合《おちあい》の勝重《かつしげ》をも連れてやって来た。
「お師匠さま。」
 その勝重の昔に変わらぬ人なつこい声をも半蔵は久しぶりで聞いた。
「半蔵さん、君は中津川まで行かずに済むし、わたしたちも馬籠まで行かずに済む。この茶屋で話そうじゃありませんか。」
 香蔵の提議だ。
 その時、半蔵は初めて王政復古の成り立ったことを知り、岩倉公を中心にする小御所の会議には薩州土州芸州越前四藩のほかに尾張も参加したことを知った。その時になると、長州藩主父子は官位を復して入洛《じゅらく》を許さるることとなり、太宰府《だざいふ》にある三条|実美《さねとみ》らの五卿もまた入洛復位を許されて、その時までの舞台は全く一変した。慶喜と会津と桑名とは除外せられ、会桑二藩が宮門警衛をも罷《や》められた。摂政、関白の大官も廃され、幕府はその時に全く終わりを告げた。この消息は京都にある景蔵からの書面に伝えてある。半蔵との連名にあてて書いてよこしたと言って、香蔵の持参したものにこの消息が伝えてある。
 香蔵は言った。
「この前、京都から来た手紙には、こんなことが書いてありました。慶喜公が大政奉還の上表を出したとほとんど同じ日に、薩長二藩へ討幕の密勅が下ったということを確かな筋から聞き込んだが、君らはあれをどう思うか、その密勅がまた間もなくお取りやめとなったというが、あれをもどう思うかとありました。わたしも変だと思って、だれにも見せずにしまって置くうちに、この復古の報知《しらせ》が来ました。」
「見たまえ。」と半蔵はそれを受けて言った。「この手紙には、当日尾州でも禁門を守衛したとありますね。檐下詰《のきしたづ》めには小瀬新太郎を首《かしら》にする近侍の士、堂上裏門の警備には供方《ともかた》をそれに当てたとありますね。」
「まあ、早い話が、先年の八月十八日の政変を逆に行ったんでしょうね。あの時はわたしは京都にいて、あの政変にあいましたから、今度のこともほぼ想像がつきます。いずれここまで出て来るには、何か動いたに相違ありません。何か、最後の力が動いたに相違ありません。」
 香蔵と半蔵とは顔を見合わせて、それから京都にある師|鉄胤《かねたね》なぞのうわさ
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