り》とも烏帽子《えぼし》陣羽織《じんばおり》のこしらえで、引き馬に乗りながら静かにその門前を通った。
「へえ、お土産《みやげ》。」
と言って、大野屋の娘に付き添いの男が祝いの供え餅《もち》一重《ひとかさ》ねをお粂や宗太への土産にくれた。
「ええじゃないか、ええじゃないか。」
宗太までが子供らしい声で、その口まねをして戯れる。
「宗太さま、それ、それ。」
大野屋の男は手を打ってよろこんだ。その時、行列のわきを走りぬけて、お粂の病気見舞いかたがた半蔵を見に来たのは妻籠の寿平次だ。寿平次はそこに家のものと一緒に門前に立つ半蔵を見つけて言った。
「半蔵さん、この騒ぎは何事です。」
「それは君、わたしの方から言うことでしょう。」
「きのう福島から見えた客がありましてね。あの辺は今、お札の降る最中だと言っていましたっけ。」
「降る最中はよかった。」
「世の中が大きく変わる時には、このくらいの瑞兆《ずいちょう》があってもいいなんて、そんなことをさももっともらしく言い触らすものもありますぜ。なんだかわたしは狐《きつね》にでもツマまれたような気がする。」
「しかし、寿平次さん、馬籠あたりの百姓はこの十年来祝うということを知りませんでしたよ。まあ、みんな祝いたければ祝え、そう言ってわたしは見ているところです。」
この表面《うわべ》のにぎやかさにかかわらず、強い嵐《あらし》を待ち受けるような気味の悪い静かさが次第に底の方で街道を支配し始めた。名古屋の方面から半蔵のところへ伝わって来る消息によると、なかなか「えいじゃないか」どころの話ではない。薩長の真意が慶喜を誅《ちゅう》し、同時に会津の松平|容保《かたもり》と桑名の松平|定敬《さだのり》とを誅戮《ちゅうりく》するにあることが早く名古屋城に知れ、尾州の御隠居はこの形勢を案じて会桑《かいそう》二藩の引退を勧告するために、十月の末にはすでに病を力《つと》めて名古屋から上京したとある。御隠居は実に会桑二侯の舎兄《しゃけい》に当たるからで。
万石以上の諸大名はいずれも勅命を奉じて続々京都に集合しつつあると聞くころだ。天下の公議によりこの国の前途を定めようとするものが京都を中心に渦巻《うずま》き始めた。その年の十一月も末になると、薩摩の島津家、長州の毛利家、芸州藩の総督、それに徳山藩の世子、吉川家の家老などが、いずれも三、四百人から二
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