ちらは本家と隠宅とで八斗の餅を投げると言って、親類の女衆から出入りのものまで呼び集め、村じゅうのものへ拾わせるつもりで祝いの餅をついた。投げた。投げた。八斗の餅は空を飛んで、伏見屋の表に群がり集まる村民らの袂《たもと》へはいれば懐《ふところ》へもはいった。その時は、四斗樽の鏡をも抜いて、清酒のほかに甘酒まで用意し、辛《から》い方でも甘い方でも、御勝手《ごかって》飲み放題という振る舞いであった。
「ホウ、ただ飲み、ただ取りだ。」
と言うものさえある。
村のものは、氏神諏訪小社の改築も工事落成の近いのに事寄せて、にわかに狂言の催しまでも思い立った。気の早いものはそのけいこにすら取りかかった。この空気は――たといそれが一時的であるにしても――今まで主従の重い関係にあった将軍家没落の驚きを忘れさせ、代替《だいがわ》り家督相続から隠居養子|嫁娶《よめとり》の事まで届け出たような権威の高いものが眼前に崩《くず》れて行ったことを忘れさせ、葵《あおい》の紋のついた提灯《ちょうちん》さえあればいかなる山野を深夜独行するとも狐狼《ころう》盗難に出あうことはないとまで信ぜられていたほどの三百年来の主人を失ったことをも忘れさせた。
「ええじゃないか」の騒動はいつやむとも知れなかった。村の大根引きのころから、氏神遷宮の祭礼狂言が始まるころまで続いても、まだ謡《うた》の囃子《はやし》が絶えなかった。そこへ隣宿の妻籠《つまご》からはお札降りの祝いという触れ込みで、過ぐる四年前水戸浪士通行の際の姿にこしらえ、鎧《よろい》、兜《かぶと》、弓、鎗《やり》、すべて軍中のいでたちで、子供はいずれも引き馬に乗り、同勢およそ百余人の仮装行列が練り込んで来た。
本陣では皆門の外に出て見た。手習い子供のさかりの年ごろになる宗太はもとより、日ごろこもりがちに晩年を送っている吉左衛門までが出て見た。
「お粂《くめ》もおいで。早くおいで。」
とお民に呼ばれて、軽くて済んだ病気あげくのお粂もやせてかえって娘らしさを増したような姿を祖母や母のそばにあらわした。こうした全家族のものが門前に集まることは本陣ではめったになかった。多年村方の世話をして来た年老いた吉左衛門がともかくもまだ無事でいることは、それだけでも村の百姓らをよろこばせた。右も、左も、街道のわきは行列の見物でいっぱいだ。妻籠の大野屋の娘というが二人《ふた
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