村の年寄りや女子供までを浮き浮きとさせた。そこへお札だ。荒町《あらまち》にある氏神《うじがみ》の境内へ下った諏訪《すわ》本社のお札を降り始めとして、問屋の裏小屋の屋根へも伊勢《いせ》太神宮のお札がお下《さが》りになったとか、桝田屋《ますだや》の坪庭へも同様であると言われると、それ祝えということになって、村の若い衆なぞの中には襦袢《じゅばん》一枚で踊り狂いながら祝いに行くという騒ぎだ。お札の降った家では幸福があるとして、餅《もち》をつくやら、四斗樽《しとだる》をあけるやら、それを一同に振る舞って非常な縁起《えんぎ》を祝った。
だれもがまた、こんな不思議を疑い、かつ信じた。実際、明るい青空からお札がちらちら降って来たのを目撃したと言うものがあり、何かこれは伊勢太神宮のお告げだと言うものがあり、豊年の瑞兆《ずいちょう》だと言って見るものもある。このにぎやかな「えいじゃないか」の騒動は木曾地方にのみ限らなかった。京大坂の方面から街道を下って来る旅人の話も戸《こ》ごとに神棚《かみだな》をこしらえ、拾ったお札を祭り、中には笛太鼓の鳴り物入りで老幼男女の差別なく花やかな衣裳《いしょう》を着けながら市中を踊り回るという賑々《にぎにぎ》しさで持ち切った。
不思議なお札と、熱狂する「ええじゃないか」と。まるで町内は時ならぬ祭礼の光景を出現するようになった。こんな意外なものが、つい三、四月あたりまで食うや食わずの凶年に騒いでいた馬籠あたりの村民を待ち受けていようとは。それは一切の過去の哀傷を葬り去ろうとするような大きな騒動にまで各地に広がった。そして、多くの人の心を酔うばかりにさせた。
熱田《あつた》太神宮のお札は蓬莱屋《ほうらいや》の庭の椿《つばき》の枝へも降り、伏見屋の表格子《おもてごうし》の内へも降り、梅屋の裏座敷の庭先にある高塀《たかべい》の上へも降った。まだそのほかに、八幡宮のお札の降ったところが二か所もある。いずれも奇異の思いに打たれて、ありがたく頂戴《ちょうだい》したという。こうなると、人一倍精力のあるとともにまた迷信も深い上の伏見屋の隠居はじっとしていない。どんな金満家でもこんな祝いの時の酒や投げ餅を出し惜しむものは流行節《はやりぶし》に合わせて「貧乏せ、貧乏せ」と囃《はや》し立てられると聞いては、なおなお黙って引っ込んでいない。桝田屋で四斗の餅を投げたものなら、こ
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