が、そのかわり綿密で慎み深く、半蔵にとってのよい相談相手である。その時、伊之助は宿勘定仕訳帳を取り出して、それを半蔵の前にひろげて見せた。包み隠しない宿方やり繰りの全景がそこにある。宿方の入金としては、年内人馬賃銭の内より宿助成としての刎銭《はねせん》何ほどということから、お年貢《ねんぐ》の高割《たかわり》として取り集めの分何ほど、ずっと以前に木曾谷中に許された刎銭積み金の利息より手助け村および御伝馬その他への割り渡しを差し引きたる残り何ほど、木曾谷には古い歴史のある御切り替え手形|頂戴金《ちょうだいきん》のうち御伝馬その他の諸役への割り渡しを差し引きたる残り何ほどとそこに記《しる》してある。支払いの分としては、御用御通行そのほか込み合いの節の人馬雇い銭、御用の諸家休泊年内|旅籠《はたご》の不足銭、問屋場の帳付けと馬指《うまさし》および人足指《にんそくざし》と定使《じょうづか》いらへの給料、宿駕籠《しゅくかご》の買い入れ代、助郷人馬への配当、高札場ならびに道路の修繕費、それに問屋場の維持に要する諸雑費というふうに。七か年を平均した帳尻《ちょうじり》を見ると、入金二百三十六両三分、銭六貫三百八十一文。支払い金四百十一両三分、銭九貫六百三十三文。この差し引き、金百七十五両銭三貫二百四十二文が不足になっている。この不足が年々積もって行く上に、それを補って来た万延安政年代以来からの宿方の借財が十六口にも上って、利息だけでも年々二百四十四両一分二朱ほど払わねばならない。これはお役所からも神明講永代講の積み金からも、中津川の商人からも、あるいは岩村の御用達《ごようたし》からも借り入れたもので、その中には馬籠の桝田屋《ますだや》の主人や上の伏見屋の金兵衛が立て替えたものもある。このまま仕法立《しほうだ》てをせずに置いたら宿方は滅亡に及ぶかもしれない。なんとか奉行所の評議をもって宿相続をなしうるよう救ってもらいたいというのが、その帳面の内容であった。
 馬籠は小駅ながらともかくも木曾街道筋のことで金が動く。この宿場の困難な時を切り抜けるも、切り抜けないも、宿役人らの肩にかかっていた。おそらく父吉左衛門でも容易でない。まして半蔵だ。彼は伊之助と顔を見合わせて、つくづく自分の無能を羞《は》じた。


 大風の被害、木曾谷中の不作、前代未聞の米高《こめだか》、宿相続の困難、それらの心配を
前へ 次へ
全217ページ中184ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング