役人らの通行、のみならず尾張大納言が参府と帰国等、前代未聞の大通行が数え切れない上に、昨年日光御神忌に際しては公家衆と警衛諸役人らの通行が数日にわたって、ついには助郷《すけごう》村々も疲弊を申し立て、一人一匹の人馬も差し出さないことがあり、そのたびごとに宿役人どもはじめ御伝馬役、小前のものの末に至るまで一方《ひとかた》ならぬ辛《つら》き勤めは筆紙に尽くしがたいことも言ってある。それらの事情から人馬の雇い金はおびただしく、ゆくゆく宿相続もおぼつかないところから、木曾十一宿では定助郷設置の嘆願を申し合わせ、幾たびか宿役人らの江戸出府となったが、今だにその御理解もなく、もはや十六、七年も右の一条でかわるがわるの嘆願に出府せしため雑費はかさむばかりであったことも言ってある。ついては、去る安政三年に金三百両の頼母子講《たのもしこう》を取り立て、その以前にも百両講を取り立て、それらの方法で宿方借財返済の途《みち》を立てて来たが、近年は人馬雇い金、並びに借入金利払い、その他、宿入用が莫大《ばくだい》にかかって、しかも入金の分は先年より格別増したわけでもないから、ますます困窮に迫って必至難渋の状態にあることにも言い及んである。
 半蔵はさらに読み続けた。
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「――前条難渋の宿柄、実《じつ》もって嘆かわしき次第にこれあり候《そうろう》。右につき、高割《たかわり》取り集め候儀も、先年よりは多く相増し候えども、お救い拝借等年延べ願い上げ奉り候ほどのことゆえ、この上相増し候儀は行き届かず、もはや頼母子講取り立て候儀も相成りがたく、組合宿々の儀も人馬雇い立てその他多端の費用にて借財相かさみ、助力は相頼みがたき場合、いかにして宿相続|仕《つかまつ》るべきかと一同当惑悲嘆いたし候。
――この上は、前条のおもむき深く御憐察《ごれんさつ》下し置かれ、御時節柄恐れ多きお願いには候えども、御金二千両拝借仰せ付けられたく、御返上の儀も当|寅年《とらどし》より向こう二十か年賦済みにお救い拝借仰せ付けられ候わば、一同ありがたき仕合わせに存じ奉り候。以上。」
 慶応二年|寅《とら》九月[#地から7字上げ]馬籠宿
[#地から2字上げ]庄屋問屋
    御奉行所
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 半蔵と伊之助の二人《ふたり》はこの願書について互いの意見をとりかわした。伊之助には養父金兵衛の鋭さはない
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