も難儀な旅をいたしまして、すこしからだを悪くしたものですから、しばらく敦賀《つるが》のお寺に御厄介《ごやっかい》になってまいりました。まあ、命拾いをしたようなものでございます。」
 お民は下女に言いつけて、飯櫃《めしびつ》と膳《ぜん》とをその上がりはなへ運ばせた。
「亀山《かめやま》さんもどうなりましたろう。」
 それをお民が半蔵に言うと、降蔵は遠慮なく頂戴《ちょうだい》というふうで、そこに腰掛けたまま飯櫃を引きよせ、おりからの山の蕨《わらび》の煮つけなぞを菜にして、手盛りにした冷飯《ひやめし》をやりはじめた。半蔵は鎗《やり》をかついで浪士らの供をしたという百姓の骨太な手をながめながら、
「お前は小荷駄掛《こにだがか》りの亀山|嘉治《よしはる》のことを聞かなかったかい。あの人はわたしの旧《ふる》い友だちだが。」
「へえ、わたくしは正武隊付きで、兵糧方《ひょうろうかた》でございましたから、よくも存じませんが、重立った御仁《ごじん》で助けられたものは一人もございませんようです。ただいま申し上げましたように、わたくしは追放となりましてから患《わずら》いまして、しばらく敦賀に居残りました。先月十七日以後のこともすこしは存じておりますが、十九日にも七十六人、二十三日も十六人が打ち首になりました。」
「とうとう、あの亀山も武田耕雲斎や藤田小四郎なぞと死生を共にしたか。」
 半蔵はお民と顔を見合わせた。
 おまんをはじめ、清助から下男の佐吉までが水戸浪士のことを聞こうとして、諏訪の百姓の周囲に集まって来た。この本陣に働くものはいずれも前の年十一月の雨の降った日の恐ろしかった思いを噛《か》み返して見るというふうで。
 順序もなく降蔵が語り出したところによると、美濃《みの》から越前《えちぜん》へ越えるいくつかの難場のうち、最も浪士一行の困難をきわめたのは国境の蝿帽子峠《はえぼうしとうげ》へかかった時であったという。毎日雪は降り続き、馬もそこで多分に捨て置いた。荷物は浪士ら各自に背負い、降蔵も鉄砲の玉のはいった葛籠《つづら》を負わせられたが、まことに重荷で難渋した。極々《ごくごく》の難所で、木の枝に取りついたり、岩の間をつたったりして、ようやく峠を越えることができた。その辺の五か村は焼き払われていて、人家もない。よんどころなく野陣を張って焼け跡で一夜を明かした。兵糧は不足する、雪中の寒
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