ざん》(俗に小枝山《こえだやま》とも)の位置をえらび、九|畝歩《せぶ》ばかりの土地を山の持ち主から譲り受け、枝ぶりのおもしろい松の林の中にその新しい神社を創立する。
 この楽しい考えが、平田門人片桐春一を中心にする山吹社中に起こったことは、何よりもまず半蔵らをよろこばせた。独立した山の上に建てらるべき木造の建築。四人の翁を祭るための新しい社殿。それは平田の諸門人にとって郷土後進にも伝うべきよき記念事業であり、彼らが心から要求する復古と再生との夢の象徴である。なぜかなら、より明るい世界への啓示を彼らに与え、健全な国民性の古代に発見せらるることを彼らに教えたのも、そういう四人の翁の大きな功績であるからで。
 その日、山吹社中の重立ったものが飯田にある有志の家に来て、そこに集まった同門の人たちに賛助を求めた。景蔵はじめ、香蔵、半蔵のように半ば客分のかたちでそこに出席したものまで、この記念の創立事業に異議のあろうはずもない。山吹から来た門人らの説明によると、これは片桐春一が畢生《ひっせい》の事業の一つとしたい考えで、社地の選定、松林の譲り受け、社殿の造営工事の監督等は一切山吹社中で引き受ける。これを条山神社とすべきか、条山霊社とすべきか、あるいは国学霊社とすべきかはまだ決定しない。その社号は師平田|鉄胤《かねたね》の意見によって決定することにしたい。なお、四大人の御霊代《みたましろ》としては、先人の遺物を全部平田家から仰ぐつもりであるとの話で、片桐春一ははたから見ても涙ぐましいほどの熱心さでこの創立事業に着手しているとのことであった。
 その日の顔ぶれも半蔵らにはめずらしい。平素から名前はよく聞いていても、互いに見る機会のない飯田居住の同門の人たちがそこに集まっていた。駒場《こまば》の医者山田|文郁《ぶんいく》、浪合《なみあい》の増田《ますだ》平八郎に浪合|佐源太《さげんた》なぞの顔も見える。景蔵には親戚《しんせき》にあたる松尾誠(多勢子《たせこ》の長男)もわざわざ伴野《ともの》からやって来た。先師没後の同じ流れをくむとは言え、国学四大人の過去にのこした仕事はこんなにいろいろな弟子《でし》たちを結びつけた。
 その時、一室から皆の集まっている方へ来て、半蔵の肩をたたいた人があった。
「青山君。」
 声をかけたは暮田正香だ。半蔵はめずらしいところでこの人の無事な顔を見ることも
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