》の生まれ、降蔵《こうぞう》と申します。お約束のとおり片桐までお供をいたしました。これでお暇《いとま》をいただきます。」
「何、諏訪だ?」
いきなり浪士はその降蔵を帯で縛りあげた。それから言葉をつづけた。
「その方は天誅《てんちゅう》に連れて行くから、そう心得るがいい。」
近くにある河《かわ》のところまで浪士は後ろ手にくくった百姓を引き立てた。「天誅」とはどういうわけかと降蔵が尋ねると、天誅とは首を切ることだと浪士が言って見せる。不幸な百姓は震えた。
「お武家様、わたくしは怪しい者でもなんでもございません。伊那《いな》[#「伊那」は底本では「伊奈」]辺まで用事があってまいる途中、御通行ということで差し控えていたものでございます。これからはいかようにもお供をいたしますから、お助けを願います。」
「そうか。しからば、その方は正武隊に預けるから、兵糧方《ひょうろうかた》の供をいたせ。」
人足一人を拾って行くにも、浪士らはこの調子だった。
諸隊はすでに続々間道を通過しつつある。その道は飯田の城下を避けて、上黒田で右に折れ、野底山から上飯田にかかって、今宮という方へと取った。今宮に着いたころは一同休憩して昼食をとる時刻だ。正武隊付きを命ぜられた諏訪の百姓降蔵は片桐から背負《しょ》って来た具足櫃《ぐそくびつ》をそこへおろして休んでいると、いろは付けの番号札を渡され、一本の脇差《わきざし》をも渡された。家の方へ手紙を届けたければ飛脚に頼んでやるなぞと言って、兵糧方の別当はいろいろにこの男をなだめたりすかしたりした。荷物を持ち労《つか》れたら、ほかの人足に申し付けるから、ぜひ京都まで一緒に行けとも言い聞かせた。別当はこの男の逃亡を気づかって、小用に立つにも番人をつけることを忘れなかった。
京都と聞いて、諏訪の百姓は言った。
「わたくしも国元には両親がございます。御免こうむりとうございます。お暇《いとま》をいただきとうございます。」
「そんなことを言うと天誅《てんちゅう》だぞ。」
別当の威《おど》し文句だ。
切石まで間道を通って、この浪士の諸隊は伊那の本道に出た。参州街道がそこに続いて来ている。大瀬木《おおせぎ》というところまでは、北原稲雄が先に立って浪士らを案内した。伊那にある平田門人の先輩株で、浪士間道通過の交渉には陰ながら尽力した倉沢義髄《くらさわよしゆき》も、そ
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