めにのみ、やむを得ず諏訪藩を敵として悪戦したまでだ。その夜の評定に上ったは、前途にどこをたどるべきかだ。道は二つある。これから塩尻峠《しおじりとうげ》へかかり、桔梗《ききょう》が原《はら》を過ぎ、洗馬《せば》本山《もとやま》から贄川《にえがわ》へと取って、木曾《きそ》街道をまっすぐに進むか。それとも岡谷《おかや》辰野《たつの》から伊那《いな》道へと折れるか。木曾福島の関所を破ることは浪士らの本意ではなかった。二十二里余にわたる木曾の森林の間は、嶮岨《けんそ》な山坂が多く、人馬の継立《つぎた》ても容易でないと見なされた。彼らはむしろ谷も広く間道も多い伊那の方をえらんで、一筋の血路をそちらの方に求めようと企てたのである。
不眠不休ともいうべき下諏訪での一夜。ようやく後陣のものが町に到着して一息ついたと思うころには、本陣ではすでに夜立ちの行動を開始した。だれ一人、この楽しい湯の香のする町に長く踏みとどまろうとするものもない。一刻も早くこれを引き揚げようとして多くの中にはろくろく湯水を飲まないものさえある。
「夜盗を警戒せよ。」
その声は、幹部のものの間からも、心ある兵士らの間からも起こった。この混雑の中で、十五、六軒ばかりの土蔵が切り破られた。だれの所業《しわざ》ともわからないような盗みが行なわれた。浪士らが引き揚げを急いでいるどさくさまぎれの中で。ほとんど無警察にもひとしい町々の暗黒の中で。
暁《あけ》の六つ時《どき》には浪士は残らず下諏訪を出立した。平出宿《ひらでしゅく》小休み、岡谷《おかや》昼飯の予定で。あわただしく道を急ごうとする多数のものの中には、陣羽織のままで大八車《だいはちぐるま》を押して行くのもある。甲冑《かっちゅう》も着ないで馬に乗って行くのもある。負傷兵を戸板で運ぶのもある。もはや、大霜《おおしも》だ。天もまさに寒かった。
二
もとより浪士らは後方へ引き返すべくもない。幕府から回された討手《うって》の田沼勢は絶えず後ろから追って来るとの報知《しらせ》もある。千余人からの長い行列は前後を警戒しながら伊那の谷に続いた。
筑波《つくば》の脱走者、浮浪の徒というふうに、世間の風評のみを真《ま》に受けた地方人民の中には、実際に浪士の一行を迎えて見て旅籠銭《はたごせん》一人前弁当用共にお定めの二百五十文ずつ払って通るのを意外とした。ある
前へ
次へ
全217ページ中94ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング