の服装だ。その異様な風俗がかえってなまめかしくもある。
「へえ、あれが女の子ですかい。わたしは男の子かとばかり思った。」と平助が笑う。
「でしょう。何かの願掛《がんが》けで、親たちがわざとあんな男の子の服装《なり》をさせてあるんだそうです。」
そう答えながら、半蔵の目はなおも歩いて行く小娘たちの後ろ姿を追った。連れだって肩を並べて行く一人の方の女の子は、髪をお煙草盆《たばこぼん》というやつにして、渦巻《うずま》きの浴衣に紅《あか》い鹿《か》の子《こ》の帯を幅狭くしめたのも、親の好みをあらわしている。巾着《きんちゃく》もかわいらしい。
「都に育つ子供は違いますね。」
それを半蔵が言って、平助と一緒に見送った。
十一屋の隠居は店先にいた。格子戸《こうしど》のなかで、旅籠屋《はたごや》らしい掛け行燈《あんどん》を張り替えていた。頼む用事があって来た半蔵を見ると、それだけでは済まさせない。毎年五月二十八日には浅草川《あさくさがわ》の川開きの例だが、その年の花火には日ごろ出入りする屋敷方の御隠居をも若様をも迎えることができなかったと言って見せるのはこの隠居だ。遠くは水神《すいじん》、近くは首尾《しゅび》の松あたりを納涼の場所とし、両国を遊覧の起点とする江戸で、柳橋につないである多くの屋形船《やかたぶね》は今後どうなるだろうなどと言って見せるのもこの人だ。川一丸、関東丸、十一間丸などと名のある大船を水に浮かべ、舳先《へさき》に鎗《やり》を立てて壮《さか》んな船遊びをしたという武家全盛の時代を引き合いに出さないまでも、船屋形の両辺を障子で囲み、浅草川に暑さを避けに来る大名旗本の多かったころには、水に流れる提灯《ちょうちん》の影がさながら火の都鳥であったと言って見せるのもこの話し好きの人だ。
「半蔵さん、まあ話しておいでなさるさ。」
と平助も二階へ上がらずにいて、半蔵と一緒にその店先でしばらく旅らしい時を送ろうとしていた。その時、隠居は思い出したように、
「青山さん、あれから宮川先生もどうなすったでしょう。浜の貿易にはあの先生もしっかりお儲《もう》けでございましたろうねえ。なんでも一|駄《だ》もあるほどの小判《こばん》を馬につけまして、宰領の衆も御一緒で、中津川へお帰りの時も手前どもから江戸をお立ちになりましたよ。」
これには半蔵も答えられなかった。彼は忘れがたい旧師のこ
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