目の朝には、もはや客振舞《きゃくぶるまい》の取り込みも静まり、一日がかりのあと片づけも済み、出入りの百姓たちもそれぞれ引き取って行ったあとなので、おまんは炉ばたにいて家の人たちの好きな芋焼餅を焼いた。
店座敷に休んだ半蔵もお民もまだ起き出さなかった。
「いつも早起きの若旦那が、この二、三日はめずらしい。」
そんな声が二人の下女の働いている勝手口の方から聞こえて来る。しかしおまんは奉公人の言うことなぞに頓着《とんちゃく》しないで、ゆっくり若い者を眠らせようとした。そこへおふき婆さんが新夫婦の様子を見に屋外《そと》からはいって来た。
「姉《あね》さま。」
「あい、おふきか。」
おふきは炉ばたにいるおまんを見て入り口の土間のところに立ったまま声をかけた。
「姉さま。おれはけさ早く起きて、山の芋《いも》を掘りに行って来た。大旦那も半蔵さまもお好きだで、こんなものをさげて来た。店座敷ではまだ起きさっせんかなし。」
おふきは※[#「くさかんむり/稾」、58−12]苞《わらづと》につつんだ山の芋にも温《あたた》かい心を見せて、半蔵の乳母《うば》として通《かよ》って来た日と同じように、やがて炉ばたへ上がった。
「おふき、お前はよいところへ来てくれた。」とおまんは言った。「きょうは若夫婦に御幣餅《ごへいもち》を祝うつもりで、胡桃《くるみ》を取りよせて置いた。お前も手伝っておくれ。」
「ええ、手伝うどころじゃない。農家も今は閑《ひま》だで。御幣餅とはお前さまもよいところへ気がつかっせいた。」
「それに、若夫婦のお相伴《しょうばん》に、お隣の子息《むすこ》さんでも呼んであげようかと思ってさ。」
「あれ、そうかなし。それじゃおれが伏見屋へちょっくら行って来る。そのうちには店座敷でも起きさっせるずら。」
気候はめずらしい暖かさを続けていて、炉ばたも楽しい。黒く煤《すす》けた竹筒、魚の形、その自在鍵《じざいかぎ》の天井から吊《つ》るしてある下では、あかあかと炉の火が燃えた。おふきが隣家まで行って帰って見たころには、半蔵とお民とが起きて来ていて、二人で松薪《まつまき》をくべていた。渡し金《がね》の上に載せてある芋焼餅も焼きざましになったころだ。おふきはその里芋《さといも》の子の白くあらわれたやつを温め直して、大根おろしを添えて、新夫婦に食べさせた。
「お民、おいで。髪でも直しましょう。」
おまんは奥の坪庭に向いた小座敷のところへお民を呼んだ。妻籠《つまご》の本陣から来た娘を自分の嫁として、「お民、お民」と名を呼んで見ることもおまんにはめずらしかった。おとなの世界をのぞいて見たばかりのようなお民は、いくらか羞《はじらい》を含みながら、十七の初島田《はつしまだ》の祝いのおりに妻籠の知人から贈られたという櫛箱《くしばこ》なぞをそこへ取り出して来ておまんに見せた。
「どれ。」
おまんは襷掛《たすきが》けになって、お民を古風な鏡台に向かわせ、人形でも扱うようにその髪をといてやった。まだ若々しく、娘らしい髪の感覚は、おまんの手にあまるほどあった。
「まあ、長い髪の毛だこと。そう言えば、わたしも覚えがあるが、これで眉《まゆ》でも剃《そ》り落とす日が来てごらん――あの里帰りというものは妙に昔の恋しくなるものですよ。もう娘の時分ともお別れですねえ。女はだれでもそうしたものですからねえ。」
おまんはいろいろに言って見せて、左の手に油じみた髪の根元を堅く握り、右手に木曾名物のお六櫛《ろくぐし》というやつを執った。額《ひたい》から鬢《びん》の辺へかけて、梳《す》き手《て》の力がはいるたびに、お民は目を細くして、これから長く姑《しゅうとめ》として仕えなければならない人のするままに任せていた。
「熊《くま》や。」
とその時、おまんはそばへ寄って来る黒毛の猫《ねこ》の名を呼んだ。熊は本陣に飼われていて、だれからもかわいがられるが、ただ年老いた隠居からは憎まれていた。隠居が熊を憎むのは、みんなの愛がこの小さな動物にそそがれるためだともいう。どうかすると隠居は、おまんや下女たちの見ていないところで、人知れずこの黒猫に拳固《げんこ》を見舞うことがある。おまんはお民の髪を結いながらそんな話までして、
「吾家《うち》のおばあさんも、あれだけ年をとったかと思いますよ。」
とも言い添えた。
やがて本陣の若い「御新造《ごしんぞ》」に似合わしい髪のかたちができ上がった。儀式ばった晴れの装いはとれて、さっぱりとした蒔絵《まきえ》の櫛《くし》なぞがそれに代わった。林檎《りんご》のように紅《あか》くて、そして生《い》き生きとしたお民の頬《ほお》は、まるで別の人のように鏡のなかに映った。
「髪はできました。これから部屋《へや》の案内です。」
というおまんのあとについて、間もなくお民は家の内部《なか》のすみずみまでも見て回った。生家《さと》を見慣れた目で、この街道に生《は》えたような家を見ると、お民にはいろいろな似よりを見いだすことも多かった。奥の間、仲の間、次の間、寛《くつろ》ぎの間というふうに、部屋部屋に名のつけてあることも似ていた。上段の間という部屋が一段高く造りつけてあって、本格な床の間、障子から、白地に黒く雲形を織り出したような高麗縁《こうらいべり》の畳まで、この木曾路を通る諸大名諸公役の客間にあててあるところも似ていた。
熊は鈴の音をさせながら、おまんやお民の行くところへついて来た。二人が西向きの仲の間の障子の方へ行けば、そこへも来た。この黒毛の猫は新来の人をもおそれないで、まだ半分お客さまのようなお民の裾《すそ》にもまといついて戯れた。
「お民、来てごらん。きょうは恵那山《えなさん》がよく見えますよ。妻籠《つまご》の方はどうかねえ、木曾川の音が聞こえるかねえ。」
「えゝ、日によってよく聞こえます。わたしどもの家は河《かわ》のすぐそばでもありませんけれど。」
「妻籠じゃそうだろうねえ。ここでは河の音は聞こえない。そのかわり、恵那山の方で鳴る風の音が手に取るように聞こえますよ。」
「それでも、まあよいながめですこと。」
「そりゃ馬籠《まごめ》はこんな峠の上ですから、隣の国まで見えます。どうかするとお天気のよい日には、遠い伊吹《いぶき》山まで見えることがありますよ――」
林も深く谷も深い方に住み慣れたお民は、この馬籠に来て、西の方に明るく開けた空を見た。何もかもお民にはめずらしかった。わずかに二里を隔てた妻籠と馬籠とでも、言葉の訛《なま》りからしていくらか違っていた。この村へ来て味わうことのできる紅《あか》い「ずいき」の漬物《つけもの》なぞも、妻籠の本陣では造らないものであった。
まだ半蔵夫婦の新規な生活は始まったばかりだ。午後に、おまんは一通り屋敷のなかを案内しようと言って、土蔵の大きな鍵《かぎ》をさげながら、今度は母屋《もや》の外の方へお民を連れ出そうとした。
炉ばたでは山家らしい胡桃《くるみ》を割る音がしていた。おふきは二人の下女を相手に、堅い胡桃の核《たね》を割って、御幣餅《ごへいもち》のしたくに取りかかっていた。その時、上がり端《はな》にある杖《つえ》をさがして、おまんやお民と一緒に裏の隠居所まで歩こうと言い出したのは隠居だ。このおばあさんもひところよりは健康を持ち直して、食事のたびに隠居所から母屋《もや》へ通《かよ》っていた。
馬籠の本陣は二棟《ふたむね》に分かれて、母屋《もや》、新屋《しんや》より成り立つ。新屋は表門の並びに続いて、すぐ街道と対《むか》い合った位置にある。別に入り口のついた会所(宿役人詰め所)と問屋場の建物がそこにある。石垣《いしがき》の上に高く隣家の伏見屋を見上げるのもその位置からで、大小幾つかの部屋がその裏側に建て増してある。多人数の通行でもある時は客間に当てられるのもそこだ。おまんは雨戸のしまった小さな離れ座敷をお民にさして見せて、そこにも本陣らしい古めかしさがあることを話し聞かせた。ずっと昔からこの家の習慣で、女が見るものを見るころは家族のものからも離れ、ひとりで煮焚《にた》きまでして、そこにこもり暮らすという。
「お民、来てごらん。」
と言いながら、おまんは隠居所の階下《した》にあたる味噌納屋《みそなや》の戸をあけて見せた。味噌、たまり、漬物の桶《おけ》なぞがそこにあった。おまんは土蔵の前の方へお民を連れて行って、金網の張ってある重い戸をあけ、薄暗い二階の上までも見せて回った。おまんの古い長持と、お民の新しい長持とが、そこに置き並べてあった。
土蔵の横手について石段を降りて行ったところには、深い掘り井戸を前に、米倉、木小屋なぞが並んでいる。そこは下男の佐吉の世界だ。佐吉も案内顔に、伏見屋寄りの方の裏木戸を押して見せた。街道と平行した静かな村の裏道がそこに続いていた。古い池のある方に近い木戸をあけて見せた。本陣の稲荷《いなり》の祠《ほこら》が樫《かし》や柊《ひいらぎ》の間に隠れていた。
その晩、家のもの一同は炉ばたに集まった。隠居はじめ、吉左衛門から、佐吉まで一緒になった。隣家の伏見家からは少年の鶴松《つるまつ》も招かれて来て、半蔵の隣にすわった。おふきが炉で焼く御幣餅の香気はあたりに満ちあふれた。
「鶴さん、これが吾家《うち》の嫁ですよ。」
とおまんは隣家の子息《むすこ》にお民を引き合わせて、串差《くしざ》しにした御幣餅をその膳《ぜん》に載せてすすめた。こんがりと狐色《きつねいろ》に焼けた胡桃醤油《くるみだまり》のうまそうなやつは、新夫婦の膳にも上った。吉左衛門夫婦はこの質素な、しかし心のこもった山家料理で、半蔵やお民の前途を祝福した。
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第二章
一
十曲峠《じっきょくとうげ》の上にある新茶屋には出迎えのものが集まった。今度いよいよ京都本山の許しを得、僧|智現《ちげん》の名も松雲《しょううん》と改めて、馬籠《まごめ》万福寺の跡を継ごうとする新住職がある。組頭《くみがしら》笹屋《ささや》の庄兵衛《しょうべえ》はじめ、五人組仲間、その他のものが新茶屋に集まったのは、この人の帰国を迎えるためであった。
山里へは旧暦二月末の雨の来るころで、年も安政《あんせい》元年と改まった。一同が待ち受けている和尚《おしょう》は、前の晩のうちに美濃《みの》手賀野《てがの》村の松源寺《しょうげんじ》までは帰って来ているはずで、村からはその朝早く五人組の一人《ひとり》を発《た》たせ、人足も二人《ふたり》つけて松源寺まで迎えに出してある。そろそろあの人たちも帰って来ていいころだった。
「きょうは御苦労さま。」
出迎えの人たちに声をかけて、本陣の半蔵もそこへ一緒になった。半蔵は父吉左衛門の名代《みょうだい》として、小雨の降る中をやって来た。
こうした出迎えにも、古い格式のまだ崩《くず》れずにあった当時には、だれとだれはどこまでというようなことをやかましく言ったものだ。たとえば、村の宿役人仲間は馬籠の石屋の坂あたりまでとか、五人組仲間は宿はずれの新茶屋までとかいうふうに。しかし半蔵はそんなことに頓着《とんちゃく》しない男だ。のみならず、彼はこうした場処に来て腰掛けるのが好きで、ここへ来て足を休めて行く旅人、馬をつなぐ馬方、または土足のまま茶屋の囲炉裏《いろり》ばたに踏ん込《ご》んで木曾風《きそふう》な「めんぱ」(木製|割籠《わりご》)を取り出す人足なぞの話にまで耳を傾けるのを楽しみにした。
馬籠の百姓総代とも言うべき組頭庄兵衛は茶屋を出たりはいったりして、和尚の一行を待ち受けたが、やがてまた仲間のもののそばへ来て腰掛けた。御休処《おやすみどころ》とした古い看板や、あるものは青くあるものは茶色に諸|講中《こうじゅう》のしるしを染め出した下げ札などの掛かった茶屋の軒下から、往来一つ隔てて向こうに翁塚《おきなづか》が見える。芭蕉《ばしょう》の句碑もその日の雨にぬれて黒い。
間もなく、半蔵のあとを追って、伏見屋の鶴松《つるまつ》が馬籠の宿《しゅく》の方からやって来た。鶴松も父|金兵衛《きんべえ
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