平田|鉄胤《かねたね》大人
          御許《おんもと》
[#ここで字下げ終わり]
「これはなかなかやかましいものだ。」
「まだそのほかに、名簿を出すことになっています。行年《こうねん》何歳、父はだれ、職業は何、だれの紹介ということまで書いてあるんです。」
 その時、半蔵は翌朝の天気を気づかい顔に戸の方へ立って行った。隅田川《すみだがわ》に近い水辺の夜の空がその戸に見えた。
「半蔵さん。」と寿平次はまたそばへ来てすわり直した相手の顔をながめながら、「君の誓詞には古学ということがしきりに出て来ますね。いったい、国学をやる人はそんなに古代の方に目標を置いてかかるんですか。」
「そりゃ、そうさ。君。」
「過去はそんなに意味がありますかね。」
「君のいう過去は死んだ過去でしょう。ところが、篤胤《あつたね》先生なぞの考えた過去は生きてる過去です。あすは、あすはッて、みんなあすを待ってるけれど、そんなあすはいつまで待っても来やしません。きょうは、君、またたく間《ま》に通り過ぎて行く。過去こそ真《まこと》じゃありませんか。」
「君のいうことはわかります。」
「しかし、国学者だって、そう一概に過去を目標に置こうとはしていません。中世以来は濁って来ていると考えるんです。」
「待ってくれたまえ。わたしはそうくわしいことも知りませんがね、平田派の学問は偏《かた》より過ぎるような気がしてしかたがない。こんな時世になって来て、そういう古学はどんなものでしょうかね。」
「そこですよ。外国の刺激を受ければ受けるほど、わたしたちは古代の方を振り返って見るようになりました。そりゃ、わたしばかりじゃありません、中津川の景蔵さんや香蔵さんだっても、そうです。」
 どうやら定めない空模様だった。さびしくはあるが、そう寒くない時雨《しぐれ》の来る音も戸の外にした。


 江戸は、初めて来て見る半蔵らにとって、どれほどの広さに伸びている都会とも、ちょっと見当のつけられなかったような大きなところである。そこに住む老若男女《ろうにゃくなんにょ》の数はかつて正確に計算せられたことがないと言うものもあるし、およそ二百万の人口はあろうと言うものもある。半蔵が連れと一緒に、この都会に足を踏み入れたのは武家屋敷の多い方面で、その辺は割合に人口も稀薄《きはく》なところであった。両国まで来て初めて町の深さにはいって見た。それもわずかに江戸の東北にあたる一つの小さな区域というにとどまる。
 数日の滞在の後には、半蔵も佐吉を供に連れて山下町の方に平田家を訪問し、持参した誓詞のほかに、酒魚料、扇子《せんす》壱箱を差し出したところ、先方でも快く祝い納めてくれた。平田家では、彼の名を誓詞帳(平田門人の台帳)に書き入れ、先師没後の門人となったと心得よと言って、束脩《そくしゅう》も篤胤|大人《うし》の霊前に供えた。彼は日ごろ敬慕する鉄胤《かねたね》から、以来懇意にするように、学事にも出精するようにと言われて帰って来たが、その間に寿平次は猿若町《さるわかちょう》の芝居見物などに出かけて行った。そのころになると、二人《ふたり》はあちこちと見て回った町々の知識から、八百八町《はっぴゃくやちょう》から成るというこの大きな都会の広がりをいくらかうかがい知ることができた。町中にある七つの橋を左右に見渡すことのできる一石橋《いちこくばし》の上に立って見た時。国への江戸|土産《みやげ》に、元結《もとゆい》、油、楊枝《ようじ》の類《たぐい》を求めるなら、親父橋《おやじばし》まで行けと十一屋の隠居に教えられて、あの橋の畔《たもと》から鎧《よろい》の渡しの方を望んで見た時。目に入るかぎり無数の町家がたて込んでいて、高い火見櫓《ひのみやぐら》、並んだ軒、深い暖簾《のれん》から、いたるところの河岸《かし》に連なり続く土蔵の壁まで――そこからまとまって来る色彩の黒と白との調和も江戸らしかった。
 しかし、世は封建時代だ。江戸大城の関門とも言うべき十五、六の見附《みつけ》をめぐりにめぐる内濠《うちぼり》はこの都会にある橋々の下へ流れ続いて来ている。その外廓《そとがわ》にはさらに十か所の関門を設けた外濠《そとぼり》がめぐらしてある。どれほどの家族を養い、どれほどの土地の面積を占め、どれほどの庭園と樹木とをもつかと思われるような、諸国大小の大名屋敷が要所要所に配置されてある。どこに親藩の屋敷を置き、どこに外様大名《とざまだいみょう》の屋敷を置くかというような意匠の用心深さは、日本国の縮図を見る趣もある。言って見れば、ここは大きな関所だ。町の角《かど》には必ず木戸があり、木戸のそばには番人の小屋がある。あの木曾街道の関所の方では、そこにいる役人が一切の通行者を監視するばかりでなく、役人同志が互いに監視し合っていた。どうかすると、奉行《ぶぎょう》その人ですら下役から監視されることをまぬかれなかった。それを押しひろげたような広大な天地が江戸だ。
 半蔵らが予定の日取りもいつのまにか尽きた。いよいよ江戸を去る前の日が来た。半蔵としては、この都会で求めて行きたい書籍の十が一をも手に入れず、思うように同門の人も訪《たず》ねず、賀茂《かも》の大人《うし》が旧居の跡も見ずじまいであっても、ともかくも平田家を訪問して、こころよく入門の許しを得、鉄胤《かねたね》はじめその子息《むすこ》さんの延胤《のぶたね》とも交わりを結ぶ端緒《いとぐち》を得たというだけにも満足して、十一屋の二階でいろいろと荷物を片づけにかかった。
 半蔵が部屋《へや》の廊下に出て見たころは夕方に近い。
「半蔵さん、きょうはひとりで町へ買い物に出て、それはよい娘を見て来ましたぜ。」
 と言って寿平次は国への江戸土産にするものなぞを手にさげながら帰って来た。
「君にはかなわない。すぐにそういうところへ目がつくんだから。」
 半蔵はそれを言いかけて、思わず顔を染めた。二人は宿屋の二階の欄《てすり》に身を倚《よ》せて、目につく風俗なぞを話し合いながら、しばらくそこに旅らしい時を送った。髪を結綿《ゆいわた》というものにして、紅《あか》い鹿《か》の子《こ》の帯なぞをしめた若いさかりの娘の洗練された風俗も、こうした都会でなければ見られないものだ。国の方で素枯《すが》れた葱《ねぎ》なぞを吹いている年ごろの女が、ここでは酸漿《ほおずき》を鳴らしている。渋い柿色《かきいろ》の「けいし」を小脇《こわき》にかかえながら、唄《うた》のけいこにでも通うらしい小娘のあどけなさ。黒繻子《くろじゅす》の襟《えり》のかかった着物を着て水茶屋の暖簾《のれん》のかげに物思わしげな女のなまめかしさ。極度に爛熟《らんじゅく》した江戸趣味は、もはや行くところまで行き尽くしたかとも思わせる。
 やがて半蔵は佐吉を呼んだ。翌朝出かけられるばかりに旅の荷物をまとめさせた。町へは鰯《いわし》を売りに来た、蟹《かに》を売りに来たと言って、物売りの声がするたびにきき耳を立てるのも佐吉だ。佐吉は、山下町の方の平田家まで供をしたおりのことを言い出して、主人と二人で帰りの昼じたくにある小料理屋へ立ち寄ろうとしたことを寿平次に話した末に、そこの下足番《げそくばん》の客を呼ぶ声が高い調子であるには驚かされたと笑った。
「へい、いらっしゃい。」
 と佐吉は木訥《ぼくとつ》な調子で、その口調をまねて見せた。
「あのへい、いらっしゃいには、おれも弱った。そこへ立ちすくんでしまったに。」
 とまた佐吉は笑った。
「佐吉、江戸にもお別れだ。今夜は一緒に飯でもやれ。」
 と半蔵は言って、三人して宿屋の台所に集まった。夕飯の膳《ぜん》が出た。佐吉がそこへかしこまったところは、馬籠の本陣の囲炉裏ばたで、どんどん焚火《たきび》をしながら主従一同食事する時と少しも変わらない。十一屋では膳部も質素なものであるが、江戸にもお別れだという客の好みとあって、その晩にかぎり刺身《さしみ》もついた。木曾の山の中のことにして見たら、深い森林に住む野鳥を捕え、熊《くま》、鹿《しか》、猪《いのしし》などの野獣の肉を食い、谷間の土に巣をかける地蜂《じばち》の子を賞美し、肴《さかな》と言えば塩辛いさんまか、鰯《いわし》か、一年に一度の塩鰤《しおぶり》が膳につくのは年取りの祝いの時ぐらいにきまったものである。それに比べると、ここにある鮪《まぐろ》の刺身の新鮮な紅《あか》さはどうだ。その皿《さら》に刺身のツマとして添えてあるのも、繊細をきわめたものばかりだ。細い緑色の海髪《うご》。小さな茎のままの紫蘇《しそ》の実。黄菊。一つまみの大根おろしの上に青く置いたような山葵《わさび》。
「こう三人そろったところは、どうしても山の中から出て来た野蛮人ですね。」
 赤い襟《えり》を見せた給仕《きゅうじ》の女中を前に置いて、寿平次はそんなことを言い出した。
「こんな話があるで。」と佐吉も膝《ひざ》をかき合わせて、「木曾福島の山村様が江戸へ出るたびに、山猿《やまざる》、山猿と人にからかわれるのが、くやしくてしかたがない。ある日、口の悪い人たちを屋敷に招《よ》んだと思わっせれ。そこが、お前さま、福島の山村様だ。これが木曾名物の焼き栗《ぐり》だと言って、生《なま》の栗を火鉢《ひばち》の灰の中にくべて、ぽんぽんはねるやつをわざと鏃《やじり》でかき回したげな。」
「野性を発揮したか。」
 と寿平次がふき出すと、半蔵はそれを打ち消すように、
「しかし、寿平次さん、こう江戸のように開け過ぎてしまったら、動きが取れますまい。わたしたちは山猿でいい。」
 と言って見せた。
 食後にも三人は、互いの旅の思いを比べ合った。江戸の水茶屋には感心した、と言うのは寿平次であった。思いがけない屋敷町の方で読書の声を聞いて来た、と言うのは半蔵であった。
 その晩、半蔵は寿平次と二人|枕《まくら》を並べて床についたが、夜番の拍子木《ひょうしぎ》の音なぞが耳について、よく眠らなかった。枕もとにあるしょんぼりとした行燈《あんどん》のかげで、敷いて寝た道中用の脇差《わきざし》を探って見て、また安心して蒲団《ふとん》をかぶりながら、平田家を訪《たず》ねた日のことなぞを考えた。あの鉄胤《かねたね》から古学の興隆に励めと言われて来たことを考えた。世は濁り、江戸は行き詰まり、一切のものが実に雑然紛然として互いに叫びをあげている中で、どうして国学者の夢などをこの地上に実現し得られようと考えた。
「自分のような愚かなものが、どうして生きよう。」
 そこまで考えつづけた。
 翌朝は、なるべく早く出立しようということになった。時が来て、半蔵は例の青い合羽《かっぱ》、寿平次は柿色《かきいろ》の合羽に身をつつんで、すっかりしたくができた。佐吉はすでに草鞋《わらじ》の紐《ひも》を結んだ。三人とも出かけられるばかりになった。
 十一屋の隠居はそこへ飛んで出て来て、
「オヤ、これはどうも、お粗末さまでございました。どうかまた、お近いうちに。」
 と手をもみながら言う。江戸生まれで、まだ木曾を知らないというかみさんまでが、隠居のそばにいて、
「ほんとに、木曾のかたはおなつかしい。」
 と別れぎわに言い添えた。
 十一屋のあるところから両国橋まではほんの一歩《ひとあし》だ。江戸のなごりに、隅田川《すみだがわ》を見て行こう、と半蔵が言い出して、やがて三人で河岸の物揚げ場の近くへ出た。早い朝のことで、大江戸はまだ眠りからさめきらないかのようである。ちょうど、渦巻《うずま》き流れて来る隅田川の水に乗って、川上の方角から橋の下へ降《くだ》って来る川船があった。あたりに舫《もや》っている大小の船がまだ半分夢を見ている中で、まず水の上へ活気をそそぎ入れるものは、その船頭たちの掛け声だ。十一屋の隠居の話で、半蔵らはそれが埼玉《さいたま》川越《かわごえ》の方から伊勢町河岸《いせちょうがし》へと急ぐ便船《びんせん》であることを知った。
「日の出だ。」
 言い合わせたようなその声が起こった。三人は互いに雀躍《こおどり》して、本所《ほんじょ》方面の初冬らしい空に登る太陽
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