の方へ行き、七回りの藪《やぶ》へはいった。おおぜいの村の人が集まって、とうとう一矢《ひとや》でその鹿を射とめた。ところが隣村の湯舟沢《ゆぶねざわ》の方から抗議が出て、しまいには口論にまでなったことがある。
「鹿よりも、けんかの方がよっぽどおもしろかった。」
と吉左衛門は金兵衛に言って見せて笑った。何かというと二人《ふたり》は村のことに引っぱり出されるが、そんなけんかは取り合わなかった。
檜木《ひのき》、椹《さわら》、明檜《あすひ》、高野槇《こうやまき》、※[#「木+鑞のつくり」、10−17]《ねずこ》――これを木曾では五木《ごぼく》という。そういう樹木の生長する森林の方はことに山も深い。この地方には巣山《すやま》、留山《とめやま》、明山《あきやま》の区別があって、巣山と留山とは絶対に村民の立ち入ることを許されない森林地帯であり、明山のみが自由林とされていた。その明山でも、五木ばかりは許可なしに伐採することを禁じられていた。これは森林保護の精神より出たことは明らかで、木曾山を管理する尾張藩がそれほどこの地方から生まれて来る良い材木を重く視《み》ていたのである。取り締まりはやかましい。
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