匹《ばひつ》の群れがこの木曾街道に続くのも、そういう時だ。
三
山の中の深さを思わせるようなものが、この村の周囲には数知れずあった。林には鹿《しか》も住んでいた。あの用心深い獣は村の東南を流れる細い下坂川《おりさかがわ》について、よくそこへ水を飲みに降りて来た。
古い歴史のある御坂越《みさかごえ》をも、ここから恵那《えな》山脈の方に望むことができる。大宝《たいほう》の昔に初めて開かれた木曾路とは、実はその御坂を越えたものであるという。その御坂越から幾つかの谷を隔てた恵那山のすその方には、霧が原の高原もひらけていて、そこにはまた古代の牧場の跡が遠くかすかに光っている。
この山の中だ。時には荒くれた猪《いのしし》が人家の並ぶ街道にまで飛び出す。塩沢というところから出て来た猪は、宿《しゅく》はずれの陣場から薬師堂《やくしどう》の前を通り、それから村の舞台の方をあばれ回って、馬場へ突進したことがある。それ猪だと言って、皆々鉄砲などを持ち出して騒いだが、日暮れになってその行くえもわからなかった。この勢いのいい獣に比べると、向山《むこうやま》から鹿の飛び出した時は、石屋の坂
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