すこしの怠りでもあると、木曾谷中三十三か村の庄屋《しょうや》は上松《あげまつ》の陣屋へ呼び出される。吉左衛門の家は代々本陣庄屋問屋の三役を兼ねたから、そのたびに庄屋として、背伐《せぎ》りの厳禁を犯した村民のため言い開きをしなければならなかった。どうして檜木《ひのき》一本でもばかにならない。陣屋の役人の目には、どうかすると人間の生命《いのち》よりも重かった。
「昔はこの木曾山の木一本伐ると、首一つなかったものだぞ。」
陣屋の役人の威《おど》し文句だ。
この役人が吟味のために村へはいり込むといううわさでも伝わると、猪《いのしし》や鹿《しか》どころの騒ぎでなかった。あわてて不用の材木を焼き捨てるものがある。囲って置いた檜板《ひのきいた》を他《よそ》へ移すものがある。多分の木を盗んで置いて、板にへいだり、売りさばいたりした村の人などはことに狼狽《ろうばい》する。背伐《せぎ》りの吟味と言えば、村じゅう家探《やさが》しの評判が立つほど厳重をきわめたものだ。
目証《めあかし》の弥平《やへい》はもう長いこと村に滞在して、幕府時代の卑《ひく》い「おかっぴき」の役目をつとめていた。弥平の案内で、福島
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