雲が寺への帰参は、沓《くつ》ばきで久しぶりの山門をくぐり、それから方丈《ほうじょう》へ通って、一礼座了《いちれいざりょう》で式が済んだ。わざとばかりの饂飩振舞《うどんぶるまい》のあとには、隣村の寺方《てらかた》、村の宿役人仲間、それに手伝いの人たちなぞもそれぞれ引き取って帰って行った。
「和尚さま。」
 と言って松雲のそばへ寄ったのは、長いことここに身を寄せている寺男だ。その寺男は主人が留守中のことを思い出し顔に、
「よっぽど伏見屋の金兵衛さんには、お礼を言わっせるがいい。お前さまがお留守の間にもよく見舞いにおいでて、本堂の廊下には大きな新しい太鼓が掛かったし、すっかり屋根の葺《ふ》き替えもできました。あの萱《かや》だけでも、お前さま、五百二十|把《ぱ》からかかりましたよ。まあ、おれは何からお話していいか。村へ大風の来た年には鐘つき堂が倒れる。そのたびに、金兵衛さんのお骨折りも一通りじゃあらすか。」
 松雲はうなずいた。
 諸国を遍歴して来た目でこの境内を見ると、これが松雲には馬籠の万福寺であったかと思われるほど小さい。長い留守中は、ここへ来て世話をしてくれた隣村の隠居和尚任せで、なん
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