まだ三十そこそこの年配にしかならない。そういう彼よりは六つか七つも年長《としうえ》にあたるくらいの青年の僧侶《そうりょ》だ。とりあえず峠の茶屋に足を休めるとあって、京都の旅の話なぞがぽつぽつ松雲の口から出た。京都に十七日、名古屋に六日、それから美濃路回りで三日目に手賀野村の松源寺に一泊――それを松雲は持ち前の禅僧らしい調子で話し聞かせた。ものの小半時《こはんとき》も半蔵が一緒にいるうちに、とてもこの人を憎むことのできないような善良な感じのする心の持ち主を彼は自分のそばに見つけた。
 やがて一同は馬籠の本宿をさして新茶屋を離れることになった。途中で松雲は庄兵衛を顧みて、
「ほ。見ちがえるように道路がよくなっていますな。」
「この春、尾州《びしゅう》の殿様が江戸へ御出府だげな。お前さまはまだ何も御存じなしか。」
「その話はわたしも聞いて来ましたよ。」
「新茶屋の境から峠の峰まで道普請《みちぶしん》よなし。尾州からはもう宿割《しゅくわり》の役人まで見えていますぞ。道造りの見分《けんぶん》、見分で、みんないそがしい思いをしましたに。」
 うわさのある名古屋の藩主(尾張|慶勝《よしかつ》)の江戸
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