て回った。おまんの古い長持と、お民の新しい長持とが、そこに置き並べてあった。
 土蔵の横手について石段を降りて行ったところには、深い掘り井戸を前に、米倉、木小屋なぞが並んでいる。そこは下男の佐吉の世界だ。佐吉も案内顔に、伏見屋寄りの方の裏木戸を押して見せた。街道と平行した静かな村の裏道がそこに続いていた。古い池のある方に近い木戸をあけて見せた。本陣の稲荷《いなり》の祠《ほこら》が樫《かし》や柊《ひいらぎ》の間に隠れていた。
 その晩、家のもの一同は炉ばたに集まった。隠居はじめ、吉左衛門から、佐吉まで一緒になった。隣家の伏見家からは少年の鶴松《つるまつ》も招かれて来て、半蔵の隣にすわった。おふきが炉で焼く御幣餅の香気はあたりに満ちあふれた。
「鶴さん、これが吾家《うち》の嫁ですよ。」
 とおまんは隣家の子息《むすこ》にお民を引き合わせて、串差《くしざ》しにした御幣餅をその膳《ぜん》に載せてすすめた。こんがりと狐色《きつねいろ》に焼けた胡桃醤油《くるみだまり》のうまそうなやつは、新夫婦の膳にも上った。吉左衛門夫婦はこの質素な、しかし心のこもった山家料理で、半蔵やお民の前途を祝福した。
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