居だ。このおばあさんもひところよりは健康を持ち直して、食事のたびに隠居所から母屋《もや》へ通《かよ》っていた。
馬籠の本陣は二棟《ふたむね》に分かれて、母屋《もや》、新屋《しんや》より成り立つ。新屋は表門の並びに続いて、すぐ街道と対《むか》い合った位置にある。別に入り口のついた会所(宿役人詰め所)と問屋場の建物がそこにある。石垣《いしがき》の上に高く隣家の伏見屋を見上げるのもその位置からで、大小幾つかの部屋がその裏側に建て増してある。多人数の通行でもある時は客間に当てられるのもそこだ。おまんは雨戸のしまった小さな離れ座敷をお民にさして見せて、そこにも本陣らしい古めかしさがあることを話し聞かせた。ずっと昔からこの家の習慣で、女が見るものを見るころは家族のものからも離れ、ひとりで煮焚《にた》きまでして、そこにこもり暮らすという。
「お民、来てごらん。」
と言いながら、おまんは隠居所の階下《した》にあたる味噌納屋《みそなや》の戸をあけて見せた。味噌、たまり、漬物の桶《おけ》なぞがそこにあった。おまんは土蔵の前の方へお民を連れて行って、金網の張ってある重い戸をあけ、薄暗い二階の上までも見せ
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