やりたくなった。」
 と笑わせた。
 山家にはめずらしい冬で、一度は八寸も街道に積もった雪が大雨のために溶けて行った。そのあとには、金兵衛のような年配のものが子供の時分から聞き伝えたこともないと言うほどの暖かさが来ていた。寒がりの吉左衛門ですら、その日は炬燵《こたつ》や火鉢《ひばち》でなしに、煙草盆《たばこぼん》の火だけで済ませるくらいだ。この陽気は本陣の慶事を一層楽しく思わせた。
 午後に、寿平次|兄妹《きょうだい》がすでに妻籠《つまご》の本陣を出発したろうと思われるころには、吉左衛門は定紋《じょうもん》付きの※[#「ころもへん+上」、第4水準2−88−9]※[#「ころもへん+下」、第4水準2−88−10]《かみしも》姿で、表玄関前の広い板の間を歩き回った。下男の佐吉もじっとしていられないというふうで、表門を出たりはいったりした。
「佐吉、めずらしい陽気だなあ。この分じゃ妻籠の方も暖かいだろう。」
「そうよなし。今夜は門の前で篝《かがり》でも焚《た》かずと思って、おれは山から木を背負《しよ》って来た。」
「こう暖かじゃ、篝《かがり》にも及ぶまいよ。」
「今夜は高張《たかはり》だけにせ
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