す》をさして、西の宿境《しゅくざかい》までそれらの一行をうやうやしく出迎える。そして東は陣場《じんば》か、峠の上まで見送る。宿から宿への継立《つぎた》てと言えば、人足《にんそく》や馬の世話から荷物の扱いまで、一通行あるごとに宿役人としての心づかいもかなり多い。多人数の宿泊、もしくはお小休《こやす》みの用意も忘れてはならなかった。水戸《みと》の御茶壺《おちゃつぼ》、公儀の御鷹方《おたかかた》をも、こんなふうにして迎える。しかしそれらは普通の場合である。村方の財政や山林田地のことなぞに干渉されないで済む通行である。福島勘定所の奉行を迎えるとか、木曾山一帯を支配する尾張藩《おわりはん》の材木方を迎えるとかいう日になると、ただの送り迎えや継立てだけではなかなか済まされなかった。
 多感な光景が街道にひらけることもある。文政九年の十二月に、黒川村の百姓が牢舎《ろうや》御免ということで、美濃境まで追放を命ぜられたことがある。二十二人の人数が宿籠《しゅくかご》で、朝の五つ時《どき》に馬籠《まごめ》へ着いた。師走《しわす》ももう年の暮れに近い冬の日だ。その時も、吉左衛門は金兵衛と一緒に雪の中を奔走して
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