いよ引退の時期が来るまでは、まだまだ勤められるだけ勤めようとしている。金兵衛とても、この人に負けてはいなかった。

       二

 山里へは春の来ることもおそい。毎年旧暦の三月に、恵那《えな》山脈の雪も溶けはじめるころになると、にわかに人の往来も多い。中津川《なかつがわ》の商人は奥筋《おくすじ》(三留野《みどの》、上松《あげまつ》、福島から奈良井《ならい》辺までをさす)への諸|勘定《かんじょう》を兼ねて、ぽつぽつ隣の国から登って来る。伊那《いな》の谷の方からは飯田《いいだ》の在のものが祭礼の衣裳《いしょう》なぞを借りにやって来る。太神楽《だいかぐら》もはいり込む。伊勢《いせ》へ、津島へ、金毘羅《こんぴら》へ、あるいは善光寺への参詣《さんけい》もそのころから始まって、それらの団体をつくって通る旅人の群れの動きがこの街道に活気をそそぎ入れる。
 西の領地よりする参覲交代《さんきんこうたい》の大小の諸大名、日光への例幣使《れいへいし》、大坂の奉行《ぶぎょう》や御加番衆《おかばんしゅう》などはここを通行した。吉左衛門なり金兵衛なりは他の宿役人を誘い合わせ、羽織《はおり》に無刀、扇子《せん
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