、村の二軒の旅籠屋《はたごや》で昼じたくをさせるから国境《くにざかい》へ見送るまでの世話をした。もっとも、福島からは四人の足軽《あしがる》が付き添って来たが、二十二人ともに残らず腰繩《こしなわ》手錠であった。
五十余年の生涯《しょうがい》の中で、この吉左衛門らが記憶に残る大通行と言えば、尾張藩主の遺骸《いがい》がこの街道を通った時のことにとどめをさす。藩主は江戸で亡《な》くなって、その領地にあたる木曾谷を輿《こし》で運ばれて行った。福島の代官、山村氏から言えば、木曾谷中の行政上の支配権だけをこの名古屋の大領主から託されているわけだ。吉左衛門らは二人《ふたり》の主人をいただいていることになるので、名古屋城の藩主を尾州《びしゅう》の殿と呼び、その配下にある山村氏を福島の旦那《だんな》様と呼んで、「殿様」と「旦那様」で区別していた。
「あれは天保《てんぽう》十年のことでした。全く、あの時の御通行は前代未聞《ぜんだいみもん》でしたわい。」
この金兵衛の話が出るたびに、吉左衛門は日ごろから「本陣鼻」と言われるほど大きく肉厚《にくあつ》な鼻の先へしわをよせる。そして、「また金兵衛さんの前代未聞
前へ
次へ
全473ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング