ナ、インド、遠くはオランダまで、外国の事物が日本に集まって来るのは、すなわち神の心であるというような、こんな広い見方がしてある。先師は異国の借り物をかなぐり捨てて本然《ほんねん》の日本に帰れと教える人ではあっても、むやみにそれを排斥せよとは教えてない。
 この『静の岩屋』の中には、「夷《えびす》」という古言まで引き合いに出して、その言葉の意味が平常目に慣れ耳に触れるとは異なった事物をさしていうに過ぎないことも教えてある。たとえば、ありゃこりゃに人の前にすえた膳《ぜん》は「えびす膳」、四角であるべきところを四角でなく裁ち合わせた紙は「えびす紙」、元来外用の薬種とされた芍薬《しゃくやく》が内服しても病のなおるというところから「えびす薬」(芍薬の和名)というふうに。黒くてあるべき髪の毛が紅《あか》く、黒くてあるべき瞳《ひとみ》が青ければこそ、その人は「えびす」である、とも教えてある。
 半蔵はひとり言って見た。
「師匠はやっぱり大きい。」
 半蔵の心に描く平田篤胤とは、あの本居宣長を想《おも》い見るたびに想像せらるるような美丈夫という側の人ではなかった。彼はある人の所蔵にかかる先師の画像とい
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