《ごおんし》が見えてから、まだ三日にしかならない。」
と言って吉左衛門は金兵衛と顔を見合わせた。長崎へ着いたというその唐人船《とうじんぶね》が、アメリカの船ではなくて、ほかの異国の船だといううわさもあるが、それさえこの山の中では判然《はっきり》しなかった。多くの人は、先に相州浦賀の沖合いへあらわれたと同じ唐人船だとした。
「長崎の方がまた大変な騒動だそうですよ。」
と金兵衛は言ったが、にわかに長崎奉行の通行があるというだけで、先荷物《さきにもつ》を運んで来る人たちの話はまちまちであった。奉行は通行を急いでいるとのことで、道割もいろいろに変わって来るので、宿場宿場で継立《つぎた》てに難渋した。八月の一日には、この街道では栗色《くりいろ》なめしの鎗《やり》を立てて江戸方面から進んで来る新任の長崎奉行、幕府内でも有数の人材に数えらるる水野《みずの》筑後《ちくご》の一行を迎えた。
ちょうど、吉左衛門が羽織を着かえに、大急ぎで自分の家へ帰った時のことだ。妻のおまんは刀に脇差《わきざし》なぞをそこへ取り出して来て勧めた。
「いや、馬籠の駅長で、おれはたくさんだ。」
と吉左衛門は言って、晴れ
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