て差せる大小も身に着けようとしなかった。今までどおりの丸腰で、着慣れた羽織だけに満足して、やがて奉行の送り迎えに出た。
諸公役が通過の時の慣例のように、吉左衛門は長崎奉行の駕籠《かご》の近く挨拶《あいさつ》に行った。旅を急ぐ奉行は乗り物からも降りなかった。本陣の前に駕籠を停《と》めさせてのほんのお小休みであった。料紙を載せた三宝《さんぽう》なぞがそこへ持ち運ばれた。その時、吉左衛門は、駕籠のそばにひざまずいて、言葉も簡単に、
「当宿本陣の吉左衛門でございます。お目通りを願います。」
と声をかけた。
「おゝ、馬籠の本陣か。」
奉行の砕けた挨拶だ。
水野|筑後《ちくご》は二千石の知行《ちぎょう》ということであるが、特にその旅は十万石の格式で、重大な任務を帯びながら遠く西へと通り過ぎた。
街道は暮れて行った。会所に集まった金兵衛はじめ、その他の宿役人もそれぞれ家の方へ帰って行った。隣宿落合まで荷をつけて行った馬方なぞも、長崎奉行の一行を見送ったあとで、ぽつぽつ馬を引いて戻って来るころだ。
子供らは街道に集まっていた。夕空に飛びかう蝙蝠《こうもり》の群れを追い回しながら、遊び戯
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