、日の暮れるころに禰宜《ねぎ》の宮下の家に着いた。
「皆さんは馬籠の方から。それはよくお出かけくださいました。馬籠の御本陣ということはわたしもよく聞いております。」
 と言って半蔵を迎えるのは宮下の主人だ。この禰宜《ねぎ》は言葉をついで、
「いかがです。お宅の方じゃもう花もおそいでしょうか。」
「さあ、山桜が三分ぐらいは残っていましたよ。」と半蔵が答える。
「それですもの。同じ木曾でも陽気は違いますね。南の方の花の便《たよ》りを聞きましてから、この王滝辺のものが花を見るまでには、一月《ひとつき》もかかりますよ。」
「ね、お師匠さま。わたしたちの来る途中には、紫色の山つつじがたくさん咲いていましたっけね。」
 と勝重も言葉を添えて、若々しい目つきをしながら周囲を見回した。
 半蔵らは夕日の満ちた深い谷を望むことのできるような部屋《へや》に来ていた。障子の外へは川鶺鴒《かわせきれい》も来る。部屋の床の間には御嶽山|蔵王大権現《ざおうだいごんげん》と筆太に書いた軸が掛けてあり、壁の上には注連繩《しめなわ》なぞも飾ってある。
「勝重さん、来てごらん、これが両部神道というものだよ。」
 と半蔵は
前へ 次へ
全473ページ中446ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
島崎 藤村 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング